『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.142

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かるへからすと云、去ル程に勝頼は馬場に命して、山際の敵に會し引とるへしと云、小山, して〓掛る、家康公の籏本酒井左衞門尉忠次・榊原小平太康政・大久保七郎右衞門忠世横, にして只一重也、信長の出勢大軍たりといへとも、籏色惡く、敗軍の機有と云、爰に於て、, を辨へさる將也、只今敗軍を見るへしと云、公又渡邊半藏を遣ス、半藏歸りて、今日の軍し, 鎗を入て小山田を追フ、勝頼馬場・山縣か勢を合て〓掛り、武田左馬介・穴山・甘利これ, に續て〓掛る、味方敗北ス、勝頼かつに乘てこれを討、信長の加勢平手監物時秀を始メ, 瀬藤藏三百餘人討死ス、夏目次郎右衞門家康公の御馬の口を取て、味方の陣に引入、鞭を, 本多肥後守・鳥井四郎左衞門・加藤次郎九郎・天野麥右衞門・岩城勘解由・河澄源五・成, 山小作壹番に鑓を入、皆馬より下り立て鑓を合ス、小山田貳百餘騎敗北ス、山縣三百餘, の宣はく、汝日頃は至剛なり、今日に至り臆するや、鳥井か曰、其剛臆はしらす、君は戰, 田備中・上原能登は、犀欠の城の押へたり、小山田か曰、犀欠の方より敵陣をみるに、備九, 先陣を小山田ニ命す、時に夕日に及フ、濱松勢の魁は石川伯耆守康昌、小山田と戰ふ、外, 騎、味方の籏本に掛立られ、三町餘り引退く、小山田また備を立替、山家三方の勢を卒, あけて退奉る、其後夏目は取て返して討死ス、家康公濱松に楯籠り給ひ、玄默口を鳥井彦, 元龜三年十二月二十二日, 一四二

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 一四二

注記 (16)

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