『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.247

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後に備後守といふ、十八松平の内松平清吉が子なり、, を遣はされ、軍士をそへて、かの塞を守らセられけり、是信玄が軍兵を防くべき役なり、, 既に織田信長よりの加勢の兵も遠州に着陣すれば、家康公は、濱松の城には二千騎を留め, 所不案内なり、第一味方は粮乏し、敵方一萬四干餘騎は地戰にて、案内者人馬共につかれ, 置き、六千餘騎を卒し給ひ、元龜三年十一月廿二日、, 沙汰有りしが、誠なると見へて、思ひしより大勢なり、他國に深く働きて大敵と戰ふ事、, ずじて、粮の道自在なり、軍定めて牛角ならん、一端勝利を得る時には、兵を避けて危き所, 大事にて有べきなり、味方は四萬餘騎といへども、長途を打て、馬泥軍兵も戰ひ疲る、其上, 遠州味方原へ押し出さる、信玄是を見ての給ひけるは、信長より八千にて加勢すると、其, をのがるゝは良將の規なれば、我が兵を引まとふて、刑部へ押行べしと、軍の評儀事おわ, 遠州味方原合戰の事、, り、又家康公の御下知とて、遠江國宇豆山に新らたに塞をかまへられ、松平與次郎清宗, 或は、元龜二年とある説は、大に非なり、, 十一月尾州を立て、遠江に着陣す、則ち勢を二ツに分けて、新井・本坂二ケ所に陣を取, 元龜三年十二月二十二日, 二四七

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二四七

注記 (16)

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