『大日本史料』 10編 17 天正元年8月 p.24

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る、鳥取たのも崩の合戰とは此度の戰也、, ならす、矢津の大橋、立川村の前引木繩手のあたりは、死人道を遮て行人も安く通り, うたれける、甑山の山下より、宮の下・岩倉・卯垣村の前を過、鳥取城下近邊まて一, なく打とめし程に、少々返合するものも、味方つゞかねは討取れ、次第々々に殘少に, 得す、高信はやう〳〵片息になり、鳥取の城へ逃籠り、此上は定て此城へ寄來へし、, 城に籠り禦へし、叶はぬ時は腹を切へしと一途に思ひ定め、籠城の用意をなし、敗軍, は、近邊の武士其兵勢に恐れて、靡ぬものはなかりけり、武田は防戰力盡て、鳥取久, 似たり、豐國より鹿介方へ牒使を立られ、頓て鳥取へ推寄攻へしとそ擬られける、布, 里か間、追打に討れつゝ、死人道の上に伏ぬる事、露地の庭に飛石をならへたるに異, の士卒を集ける、城下の者共周章騷き、取物も取敢す方々へ逃迷ひ、足に任せ立退け, 松の城に楯籠る、譬は鼠の壁を穿ち、穴の中に潛り、魚の深淵を頼んて瞼嵎するに相, 去程に、鹿助は武田か人衆を追崩、其勢ひ龍の雲を〓づろひ、虎の③に霏が如くなれ, 鹿助攻鳥取城事、付高信降參、豐國移住鳥取城事, 施よりも、中村源八・同大炊助・森下出羽守を大將として、人衆をつれ出けれは、諸, 天正元年八月一日, 旨ヲ幸盛ニ, 出兵スベキ, ニ逃入ル, 布施城ヨリ, 高信鳥取城, ・國鳥取ニ, たのも崩, 告グ, 豐國ノ兵出, 陣ス, 進撃ス, 天正元年八月一日, 二四

頭注

  • 旨ヲ幸盛ニ
  • 出兵スベキ
  • ニ逃入ル
  • 布施城ヨリ
  • 高信鳥取城
  • ・國鳥取ニ
  • たのも崩
  • 告グ
  • 豐國ノ兵出
  • 陣ス
  • 進撃ス

  • 天正元年八月一日

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  • 二四

注記 (28)

  • 915,702,61,1045る、鳥取たのも崩の合戰とは此度の戰也、
  • 1417,698,68,2187ならす、矢津の大橋、立川村の前引木繩手のあたりは、死人道を遮て行人も安く通り
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  • 1043,704,71,2183の士卒を集ける、城下の者共周章騷き、取物も取敢す方々へ逃迷ひ、足に任せ立退け
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