『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.380

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

す、太閤城に入、宮部善祥坊をもつて、鳥取の城主となす、この日、茲矩を呼, ゝき、勇士の耻るところなりとこたへけれは、十三組の諸將、其勇猛を感, なり、その勞報謝しかたしとて、白銀三百枚、ならひに瓦毛の馬に鞍置て, て、鹿野は、敵地にちかきのところ、籠城二年にをよふこと、粉骨のいたり, し、持筒の銕炮二十挺に玉藥をそへ、ならひに黄金十枚を贈る、鳥取の城, 六日、太閤大軍をひきゐて、鳥取城をかこむこと百餘日, 日、城將吉川隆久、森下道與、中村春次自殺し、ことことく城中の士民を出, 家か守れる、宮吉城をせめうつといへとも、鳥取の城兵救ふことあたは, す、高家降をこふ則ゆるして家人となし、宮吉城を破却す、九年六月二十, す、これにより、鳥取の兵ふたゝひ來らす、のち、茲矩、毛利の兵田公新介高, 三千五百石をあてをこれはる、, 兵、鹿野の微勢なるを聞て、兵を發するのところ、茲矩城より〓て出、奮ひ, 撃て、みつから首五級を斬、接戰數十度にをよふといへとも、さらに屈せ, あたへられ、因幡國鹿野の城主となし、同國氣多郡のうちにをいて、一萬, 十年、右府、明智光秀かために、生害あるのゝち、太閤、毛利輝元と和議, 十月二十五, 慶長十七年正月二十六日, ○龜井文書ニヨレバ、一萬三千八百石扶, 持サレタルハ、天正十七年十二月八日ノ, コト, ○中, ナリ, 酪, 宮吉城ヲ, 降ス, 鹿野城主, トナル, 三八〇

割注

  • ○龜井文書ニヨレバ、一萬三千八百石扶
  • 持サレタルハ、天正十七年十二月八日ノ
  • コト
  • ○中
  • ナリ

頭注

  • 宮吉城ヲ
  • 降ス
  • 鹿野城主
  • トナル

ノンブル

  • 三八〇

注記 (28)

  • 739,712,70,2142す、太閤城に入、宮部善祥坊をもつて、鳥取の城主となす、この日、茲矩を呼
  • 1790,718,66,2123ゝき、勇士の耻るところなりとこたへけれは、十三組の諸將、其勇猛を感
  • 511,710,64,2143なり、その勞報謝しかたしとて、白銀三百枚、ならひに瓦毛の馬に鞍置て
  • 624,714,66,2138て、鹿野は、敵地にちかきのところ、籠城二年にをよふこと、粉骨のいたり
  • 1671,708,70,2136し、持筒の銕炮二十挺に玉藥をそへ、ならひに黄金十枚を贈る、鳥取の城
  • 972,707,65,1644六日、太閤大軍をひきゐて、鳥取城をかこむこと百餘日
  • 856,710,67,2143日、城將吉川隆久、森下道與、中村春次自殺し、ことことく城中の士民を出
  • 1206,709,65,2138家か守れる、宮吉城をせめうつといへとも、鳥取の城兵救ふことあたは
  • 1091,709,66,2144す、高家降をこふ則ゆるして家人となし、宮吉城を破却す、九年六月二十
  • 1325,710,66,2144す、これにより、鳥取の兵ふたゝひ來らす、のち、茲矩、毛利の兵田公新介高
  • 271,708,62,935三千五百石をあてをこれはる、
  • 1555,703,71,2138兵、鹿野の微勢なるを聞て、兵を發するのところ、茲矩城より〓て出、奮ひ
  • 1438,702,69,2137撃て、みつから首五級を斬、接戰數十度にをよふといへとも、さらに屈せ
  • 393,703,67,2151あたへられ、因幡國鹿野の城主となし、同國氣多郡のうちにをいて、一萬
  • 155,831,75,2024十年、右府、明智光秀かために、生害あるのゝち、太閤、毛利輝元と和議
  • 989,2506,52,344十月二十五
  • 1902,705,45,465慶長十七年正月二十六日
  • 308,1654,54,1192○龜井文書ニヨレバ、一萬三千八百石扶
  • 265,1657,51,1179持サレタルハ、天正十七年十二月八日ノ
  • 190,723,26,98コト
  • 1012,2370,41,112○中
  • 146,720,30,110ナリ
  • 969,2372,40,35
  • 1112,271,41,162宮吉城ヲ
  • 1068,272,39,74降ス
  • 410,271,44,170鹿野城主
  • 374,279,29,111トナル
  • 1921,2433,37,117三八〇

類似アイテム