『大日本史料』 10編 18 天正元年9月~同年11月 p.144

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法名は、心鐵院傑岑證居士と號す、討死の日は、天正元癸酉年九月十一日なり、, 〔長沼家記〕, 横行於武藏・上野、佐竹義重在常陸、其餘小山・結城・宇都宮・壬生・水谷・佐, 郎・風間大藏・森岡帶刀・横地平八・大佛左衞門等二十七人共に討死す、此俊宗の, も、運盡て、天正元年九月十一日、下總の國田野井にてそ討死したりけり、, 之助・立川藏人・玉田圖書之助・大森主税・岡本一學・平手左衞門・柏倉大炊太, く敬ひ尊みける、扠又打もの取りては、世に竝ふへきものなき強勇早業なりけれと, 俊宗, 富田左近所去るの事附兵藤五郎討死之事, 皆川山城守、號入道心鐵齋、大永五年生、頃年隣國大亂〓戰無已、北條氏康・氏政、, く憐み、民の爲と萬事を計らいける故に領分よく治り、貴賤上下ともに、神のこと, 野・足利等樹黨兵(蓋各割據郡縣、爭奪村里、俊宗自幼挾于其中間地、野戰攻城、南, 〔皆川正中録〕, 上其後富田の城は、皆河の出張と成りける、此富田一戰の後は、俊宗領分を能, 天正元年九月二十一日, ○上, 略, 天正元年九月二十一日, 一四四

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  • ○上

  • 天正元年九月二十一日

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  • 一四四

注記 (19)

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