『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.37

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らと云城落たる故也、四月上旬に御馬入なり、, 勝頼是ヲ攻陷サン爲二發向スト云々、, 嫌あさからず候、各大小上下共に武田勢申は、御代かはりに飛鳥もおつるほどの勝, 頼公御威勢なりと、いさみて足輕・悴者・小者哥を作りてうたひ申候、其哥は、信, 長彼城ニ向テ、苗木・香野・串原・今見・阿寺・馬籠・大井・中津・鶴居・幸田・瀬, ゝ一時にいひはざまをせめおとし、信長より警固衆十四騎の武者を、一人ものこさ, す討取、いひはざま右衞門を本城の藏へおしこミ、生捕て進上申候間、勝頼公御機, 戸崎・振田・大羅・千駄木・妻木・明智・飯挾十八箇所二砦ヲ設ケ、兵ヲ籠置ルユへ, 長はいまみあてらやいひはざま城をあけちとつげのくし原、とうたひ候事は、甲州・, 信玄東美濃岩村城ヲ拔テ、秋山・大島・座光寺以下、二百五十騎ヲ以テ守ラシム、信, あらそひてせめらるべきと御訴訟、近比先衆恥にて候間、いざせめ申べきとて、た, 十三日、武田四郎勝頼、分國ノ兵三萬八千ヲ率テ、信州路ヨリ濃州二出陣ス、去々年、, 信濃の下劣の詞にて、あさなる事をばあてらき事かなと申候故、しかもいまミあて, 〔武徳編年集成〕十四, 狂歌アリ, 天正二年二月五日, 三七

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  • 狂歌アリ

  • 天正二年二月五日

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  • 三七

注記 (17)

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