『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.304

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勘七郎、今の呈譜忠核に作る、, 天正二年四月六日、東照宮遠江國乾より、兵を還したまふのとき、敵御跡をし, といへとも、倒なから股をなく、敵兵また傍よりすゝみきたるを、これもその, 天正二年、遠州乾にをひて、味かた引しりそくとき、敵兵うしろよりしたひきたる、, 忠政とゝまりて、敵を討、疵をかうふる、, 股をきりおとす、この際に、從士等あつまりしかは、敵兵退散す、このとき、, たふにより、つとめ戰ひて討死す、年二十四、法名乘眞、, 彌三郎、三郎右衞門尉、, 〔寛永諸家系圖傳〕, 忠世か帶るところは、家に傳ふる利刀にして、老の杖といふ、危にのそみて一一, 天正二年四月六日, 大久保忠政, 人の兩股を斬、これよりして、六股とあらためよふ、, 〔寛永諸家系圖傳〕, 十四, 九十, 四, 某, 大久保忠政, 〔寛永諸家系圖傳〕, 三〇四

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  • 九十

頭注

  • 大久保忠政

  • 〔寛永諸家系圖傳〕

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  • 三〇四

注記 (21)

  • 1217,809,58,783勘七郎、今の呈譜忠核に作る、
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