『大日本史料』 10編 22 天正2年4月~6月 p.249

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せんとて、一しめして瀧川の淵へそ飛込んたり、後の世迄も、此淀みを鎌田か淵と, そ呼傳ふ、水の色藍に染み、見るにすさましき淵なりけり、天文三年甲午四月六日, 腹めさせ申、靜に御介錯して御首を深く隱し、山陰より一さんに走り出、修理・三, 田さらは跡より被參よとて、兩人立竝て腹〓切て死たりけり、寄手の者共、是を見, けり、この合戰に、寄手にも名ある兵共、安西左京・山本清六・宅間藤内・早川權, 大將にならせ給ひけるか、其年の秋の頃、御法體の思召にて、御一門御家老え此由, て首を取らんと來る所を、鎌田悦ひ二人掬て左右の腰へ引挾み、閻魔殿への土産に, 河等に申樣、君にも御生害まし〳〵たり、いさや暇乞の軍せんとて、三人竝て切て, 出而、思ふ儘に戰て、數十人薙伏て、何も深手負けれは、三河・修理側へ颯と引、鎌, 之丞・御子神内藏助・宇都宮彦次、其外數多討れけり、義堯公、既に兩國を靜謐し、, 四方え發と追靡け、爰をせんとゝ防戰ふ、鎌田は君を肩に引懸け奉り、山陰にて御, 御咄有けれは、皆々申上けるは、昔より大將の御身に法體數多ありといへとも、多, 小陰へ切〓て、鎌田を附參らせ、殘る人々は群り來る敵の中え、とつと喚て突て入、, の夜、義豐公、御年廿一歳にて生害まし〳〵、稻村落城し、義堯公の御代とそ成に, 天正二年六月一日, 二四九

  • 天正二年六月一日

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  • 二四九

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