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に成、威勢中々ならふものなかりしか、今川殿浪人の時も身かまへをし、家康へ, ひけれは、小田原へ附、小田原落城の時、家康是を誅し給ふ、誠にかほと降參せ, 無分別人にて、信長・家康の武剛の程をためさすして、勝頼へ附、勝頼無程ほろ, り、一萬貫の約束にて、勝頼へ城を渡し降參す、此人武勇は人に勝れけれとも、, んには、信長を引出申間敷物を、甲州衆に色々たはかられ、其上甲州物大將共, 計、勝頼起請を書てたひけれは、小笠原は勝頼につき、終に無幾程生涯を失ひけ, る、信長は角とも御存知なく、吉田の城に御著被成、酒井左衞門尉色々御馳走申, し、二日、甲州衆と和談に致し、城を渡し、小笠原は富士の下をむすと申所に移, ニ付、貞宗の御脇差を酒井に被下、然とも落城故家康も手持を失ひ、か樣の二心, の事被申談候、御歸の時分、今年遠州殊之外不作なるよし信長聞、黄金一駄家康, 有小笠原と不存候而、御出馬を申請、扠々無是非次第と被申、家中仕置治國政道, へ合力あり、岐阜へ御歸也、, 附、其後信玄を頼母敷存し、今度勝頼出張色々たはかりしを眞と存し、頓て降參, 〔創業記考異〕, ○内閣文庫所藏, 二, 天正二年六月十七日, 三二
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- ○内閣文庫所藏
- 二
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- 天正二年六月十七日
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- 三二
注記 (18)
- 1765,777,58,1990に成、威勢中々ならふものなかりしか、今川殿浪人の時も身かまへをし、家康へ
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