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産右衞門病中なれは、然らは京に止るといふ共、京中不穩にて、愛宕へ上り、, は、其儀に及すして半途より歸りしか、御家人等皆從輩は、誠の忠志と存せ, 事成まし、御病氣此儘養生被遂、公の御行衞を聞屆られ、御越可然と諷諫す、, 々成かたく候はん、其上御立御猶豫あらは、三州への御道塞かるへき儘、此, し、御家人とは成りぬ、去二日の晝堺を御立こて、五日の夜に入て、白子へ御, 著迄、御道筋の御辛勞甚た危き處に、異儀なく當所迄御越の儀を歡せ給ふ、, さりし也、多羅尾父子は伊勢の關迄送り奉ま、此故に多羅尾今以本領安堵, 變相知れは、直に堺を御立、間道を求め御通りあらんに、跡より追著せ給ん, へも相知れ〓し、然らは、何方も氣遣はしき所なれは、疾に堺を御立有へし, 病に罹り、堺へ御供不仕、京に殘り止つて養生の節、信長公の大變有て、大に, 京都に限らす道中を始、所々の徃來自由成まし、其所を御通り、堺へ御越中, 騷動に付、堺の義を心元なく、馳參らんとす、家人高次彌助曰、此大變直に堺, かの山にて病氣養生を遂んと登山す、高次彌助先立て長床坊に案内す、長, 此節鳥居彦右衞門元忠御供に外レ申、其儀は京都迄は隨身仕る處に、瘧の, 床坊頼母敷介抱し、此坊に滯居の内本復す、世間樣子を承る處に、公には堺, 鳥居元忠, 天正十年六月四日, 一九四
頭注
- 鳥居元忠
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- 天正十年六月四日
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- 一九四
注記 (18)
- 355,626,62,2206産右衞門病中なれは、然らは京に止るといふ共、京中不穩にて、愛宕へ上り、
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