『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.546

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軍勢の中へ罷出、此度兩遠藤降參して、秀吉公へ隨ひ可申、和睦を申入んと、, 藤も申らるき、兩人は是より八幡へ罷越、村瀬彌三右衞門方え萬端相頼、惣, 則人質として、石神兵庫、遠藤利右衞門相渡可申との人あれば、皆々引陣す、, 兎角此うへは請人御出し、當時御無難之御了簡他事なく候と申々る、兩遠, 公、信孝公も和睦に相成られは、最早無盆の戰場なるへしと申々れハ、兩遠, 人は八幡村瀬彌三右衞門方へ行、得与相頼も、燒出し燒飯にし、樽に詰送り, 藤の軍勢も同意して、佐藤六右衞門に任せられは、佐藤六右衞門しつ〳〵, は降參して和睦然るへく、急き人質を出し、秀吉公へ隨ひ被成〓く、尤秀吉, 毛利輝元、伊賀家久ノ忠誠ヲ褒シ、誓書ヲ與フ、, 〓る、兩遠藤は、討死の覺悟にて居られられば、佐藤六右衞門申くるは、此上, 人數難澁之上、懸申兵粮の手番ひ差支無之樣、取計工面いたし呉候樣にと、, 然るに木尾村母野にて、森武藏守に兩遠藤對面ありたるに、森武藏守、兩遠, 毛頭に御歸りあれは、直に御暇給はり、城下へこそはいそきらる、夫より兩, 藤へ鞍置の馬送らゝ穩に治る、, 〔萩藩閥閲録, 二十九, 井原孫左衞門, 天正十一年閏正月十二日, 五四六

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  • 二十九
  • 井原孫左衞門

  • 天正十一年閏正月十二日

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  • 五四六

注記 (19)

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