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らす〓戮をられむ、はやく山林に蟄し、よろしくときを待へしとなり、信, の居城春日邑にかへり、日夜軍事を議す、しろれとも地利全からす、より, 脚力をして、信蕃に御書を下され、はやく甲信のあむたに旗をあ〓、兩國, 信の境柏坂峠に建て、近郷の士を招く、來り集るもの三千餘人にをよふ、, をして平均をしむをしとなり、これにより信蕃たゝちに小川を發し、甲, 蒙り、かの其證として、金の御采幣を賜寄、こゝにをいて、信蕃鐘の纒を甲, 蕃恩命の辱を拜し、すれはち身を鍛冶の形に變し、假に名を三郎左衞門, 斐國にいらむとす、また本多彌八郎正信をして、すみやろに甲信に入、舊, 好の士を催し、其勢をあはを、兩國をしず全く麾下に屬すへしとの仰を, 渡御ありしか、この告をきかをたまひ、皈路におもむかせたまはむとて、, 横田甚右衞門尹松著到の一番とり、十五日、信蕃この兵を具して、信濃國, となさる、信蕃これより遠江國におもむき、二俣の奧小川乃深山に蟄居, す、六月、明智光秀、織田右府を京師本能寺に〓す、こ乃とき、東照宮き堺に, とあらため、家臣五人をしたろへ、東照宮よりも御家人を副られ手郷導, て要害を春日邑の奧たてしなといふ山中に構へ、これによりて、しはし, 天正十一年二月二十二日, 小川ニ蟄, 居ス, 經略セシ, ヲシテ甲, 斐信濃ヲ, 家康信蕃, 歸ル, 春日村ニ, 蓼科山ニ, 移ル, 六八六
頭注
- 小川ニ蟄
- 居ス
- 經略セシ
- ヲシテ甲
- 斐信濃ヲ
- 家康信蕃
- 歸ル
- 春日村ニ
- 蓼科山ニ
- 移ル
ノンブル
- 六八六
注記 (27)
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