『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.329

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金の鹿角打たるを賜りけお、, 城に引入ける、其後道雪、紹運許斐の城を取卷、數日攻給へば、氏貞後詰もな, ぶり、勘解由丞は、宗像方吉原源内とて、剛強の兵と鎗を合せて討取ぬ、是に, 手負歴々之儀候、雖不始儀候、依御貞心深重、御被官衆計被指出候而も、如, かりけれは、宗像民部防戰の術も盡て、夜に紛れ城を落て、津屋崎浦より小, 依て道雪、統虎より感書を賜る、其後大友義統より勘解由丞に疣鉢乃冑に, 高名候、至銘々以状申候、爲御承知候、殊僕從與七郎鎗疵刀疵二ケ所、同僕, 從與市鎗疵刀疵三ケ所、何淺深手之由候、毎々之儀候、誠感入申候、彌別而, 舟にのり、大嶋へそ渡りける、許斐の城には、立花より人數を籠め置き、兩將, 歸陣せられける、此吉原口の戰ひに、薦野三河守は故障有て出す、彌助、成家、, に及ぶ、され共道雪、紹運乃智勇に敵し難く、宗像勢打負て、赤馬、白山方々の, 五ケ年以來、御心懸之次第、爲道雪統虎永々不可有忘却候、仍而今度被遂, 勘解由丞家へ引倶し、先駈して吉原口にて一番に懸りて強戰し、敵陣をや, 此之働無比類御頼母敷候、必軈而可達上聞候之條、一稜可被成御感候、四, 前十六「於吉原口防戰之刻、増時御手之衆〓前切懸被碎手、或分捕高名、或, 天正十一年四月二十三日, 日吉原口, 三月十六, 島ニ逃ル, 氏貞津屋, ニ戰フ, 崎ヨリ大, 薦野増時, 天正十一年四月二十三日, 三二九

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  • 日吉原口
  • 三月十六
  • 島ニ逃ル
  • 氏貞津屋
  • ニ戰フ
  • 崎ヨリ大
  • 薦野増時

  • 天正十一年四月二十三日

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  • 三二九

注記 (25)

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