『大日本史料』 11編 5 天正11年8月 p.12

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したる後、内裏も亦其可否を考ふべしと言へり、, の建築を移さんことを命じたり、此事は彼が何れの宗派にも熱心なるが, し、之が爲め五山と稱する五つの主要なる僧院、及び坊主の諸宗派に、彼等, を用ひ、大坂より三レグワの距離に在る堺の町に接續せしめんとす、而し, ためにあらず、建築を立派にし、己の名を弘めんがためなり、又予が聞きた, しむべしといへる由なり、内裏は之を感謝し、己の身を國外に移すことは, 此處に住せんとす、羽柴は又若し可能ならば、都の町を同所に移さんと決, 土山に於いて、内裏のために造りしものに劣らざる立派なる宮殿を作ら, 大に考慮を要す、故に日本の貴族諸國王及び諸侯と協議し、彼等之に贊成, し、其宏大にして壯麗なることを圖るのみならず、新に造る町の擴大に意, て本年工事を始めたるに拘らず、既に約二レグワの天王寺まで家續きと, る所に依れば、使者を内裏の許に出し、大坂に移らんことを請ひ、信長が安, 稀なることにして、其先祖は三百年餘の間、之をなしたることなきを以て、, なりたりといふ、ジュストは、同所に甚だ立派なる家を築き、其家族と共に, 堺の彼方約一シグワ半又は二レグワの所に、城の如く竹を以て圍ひたる, 平野ハ竹, ヲ以テ圍, ハル, 天正十一年八月二十八日

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  • 平野ハ竹
  • ヲ以テ圍
  • ハル

  • 天正十一年八月二十八日

注記 (19)

  • 275,620,64,1430したる後、内裏も亦其可否を考ふべしと言へり、
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