『大日本史料』 11編 5 天正11年8月 p.14

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事に就きて、, に歸りたることを少からざる慈悲と認めたり、, 異る所なし、右は都地方につき、今までに知り得たる所なり, 耶蘇會のパードレ及びイルマンの日本通信第二編, を、六千クルサドにて羽柴に賣渡し、今は彼に仕へて茶を點じ、他の小姓に, はれたる後、順禮の如く、人に知られず日本の諸國を旅行し、堺に歸りて剃, 羽柴筑前殿は、日本に在る城及び町の中、最も宏壯華麗なるものを造らん, 髮し、同市の住民となり、一商人の女を娶りたり、彼は所有の茶の湯の道具, 荒木信濃は津の國の領主となりて、大に勢力を有し、信長は, 我がパードレ等一五八四年の通信に係る都方面の戰爭中に起りたる, とて、今まで努力しゐたるが、信長が築造して、日本全國非常に歎賞し、只之, 之を圍むこと三年なりしが、遂に之を〓すこと能はざりき、彼は其國を追, 〔日本耶蘇會年報〕(歐文材料第三號譯文), 本通信ニ, モ見ユ、, フ秀吉ニ求ムルロト、十年, ノ條ニ見ユ、, ○義昭、京都ニ還ラント, 十月二十一日, 輝元、秀吉ニ使, ○上下略、毛利, 十三年三月二十日ノ條ニ收メタル一五八五年十月一日附、ふろいすノ日, ヲ遣スコト及ビ大友宗麟豐前出兵ノコト等ニカヽル、ナホ大坂城ノコト、, モ見ユ、, 天正十一年八月二十八日, 一四

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  • フ秀吉ニ求ムルロト、十年
  • ノ條ニ見ユ、
  • ○義昭、京都ニ還ラント
  • 十月二十一日
  • 輝元、秀吉ニ使
  • ○上下略、毛利
  • 十三年三月二十日ノ條ニ收メタル一五八五年十月一日附、ふろいすノ日
  • ヲ遣スコト及ビ大友宗麟豐前出兵ノコト等ニカヽル、ナホ大坂城ノコト、
  • モ見ユ、

  • 天正十一年八月二十八日

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  • 一四

注記 (26)

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