『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.24

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

崎表無殘所かせき、其上とこなべの城早場を明、苦勞仕候由被仰出、其後, 森武藏羽黒へ罷出候處に、御小〓衆計被召連、數多御打取を、武藏計御う, て清須ノ五條之橋を越、御迎に被罷出候處に、權現樣被爲成御〓候者、星, ひとへになんぢが計策による〓し、忠次あへて辭せずして申さく、某老年, たせ不被成候よし、和泉守へ被仰出、御馬より御下被成、和泉守召連、清須, 御本丸へ被爲入、羽黒にて御打せ候首數多參候、五條之橋より御本丸へ, あらず、忠次先手にてむかふならば、百萬の敵といふともおうるゝにたら, に軍を出したまふとて、忠次に命ぜられけるは、國家の安危此合戰にあり、, におよぶといへども、かたじけなき命をかうぶるうへ、他にゆつるダきに, 儘に被仰付、御機嫌殘所無御座、羽黒より清須へ御馬入申候、和泉守に, 織田信雄と豐臣秀吉と合戰におよぶとき、大權現、信雄をすくはんがため, ずはかりことをめぐらして、かならず勝事を決せんと申す、, 同年三月十七日、秀吉の先手森庄藏、三千餘騎にて羽黒に陣す、忠次、大權現, 同十二年、, 參候屏之根こをすへ置、中一日御さらさせ、其後長嶋へ被遣候、, 〔寛永諸家系圖傳〕九酒井患次, 天正十二年三月十七日, 門督、刺髮して一智と號す, 小平次、小五郎、左衞門尉、左衞, 忠次家康, 攻メンコ, 酒井忠次, ニ歸ル, 家康清洲, ニ長可ヲ, 二四

割注

  • 門督、刺髮して一智と號す
  • 小平次、小五郎、左衞門尉、左衞

頭注

  • 忠次家康
  • 攻メンコ
  • 酒井忠次
  • ニ歸ル
  • 家康清洲
  • ニ長可ヲ

ノンブル

  • 二四

注記 (26)

  • 1548,706,75,2135崎表無殘所かせき、其上とこなべの城早場を明、苦勞仕候由被仰出、其後
  • 1433,704,75,2133森武藏羽黒へ罷出候處に、御小〓衆計被召連、數多御打取を、武藏計御う
  • 1662,709,81,2133て清須ノ五條之橋を越、御迎に被罷出候處に、權現樣被爲成御〓候者、星
  • 607,635,78,2198ひとへになんぢが計策による〓し、忠次あへて辭せずして申さく、某老年
  • 1316,711,75,2127たせ不被成候よし、和泉守へ被仰出、御馬より御下被成、和泉守召連、清須
  • 1199,704,75,2119御本丸へ被爲入、羽黒にて御打せ候首數多參候、五條之橋より御本丸へ
  • 386,629,71,2204あらず、忠次先手にてむかふならば、百萬の敵といふともおうるゝにたら
  • 728,638,76,2215に軍を出したまふとて、忠次に命ぜられけるは、國家の安危此合戰にあり、
  • 501,630,72,2194におよぶといへども、かたじけなき命をかうぶるうへ、他にゆつるダきに
  • 1782,706,78,2130儘に被仰付、御機嫌殘所無御座、羽黒より清須へ御馬入申候、和泉守に
  • 847,633,76,2191織田信雄と豐臣秀吉と合戰におよぶとき、大權現、信雄をすくはんがため
  • 269,627,70,1795ずはかりことをめぐらして、かならず勝事を決せんと申す、
  • 145,628,80,2195同年三月十七日、秀吉の先手森庄藏、三千餘騎にて羽黒に陣す、忠次、大權現
  • 962,2568,59,287同十二年、
  • 1083,707,73,1856參候屏之根こをすへ置、中一日御さらさせ、其後長嶋へ被遣候、
  • 957,590,105,1025〔寛永諸家系圖傳〕九酒井患次
  • 1916,718,43,421天正十二年三月十七日
  • 954,1643,46,761門督、刺髮して一智と號す
  • 995,1642,48,820小平次、小五郎、左衞門尉、左衞
  • 218,268,41,170忠次家康
  • 130,269,39,160攻メンコ
  • 990,277,43,166酒井忠次
  • 1794,296,41,103ニ歸ル
  • 1838,286,42,166家康清洲
  • 178,278,35,154ニ長可ヲ
  • 1900,2450,41,74二四

類似アイテム