『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.828

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〓、齒を喰しはり無念かる、然は小幡へ押懸〓しと被申、人數も追々來な, 時に秀吉立泉寺山へ出か、, 一秀吉は甚殘念に被存、腹を立、勝入に呉々言しに、この日の軍伍にとしと, る、, まし、いかゝと被申、柏木の上上田中と申所へ御入と申ニ付、夫に③人馬, 惣領故播磨守へ傳か、, 稻葉一鐵、細川越中、達而御無用、晩景に及候と留る故、然は隱しすは被居, 羽六太夫を差添、信雄卿へ被遣、厚く禮あり、采は被留、刀は神君より被下、, 馬にのり、權右衞門は落る、新十郎家來庄九郎來り、馬にのせ、新十郎も庄, 一勝入、武藏、紀伊討死といふ、内藤四郎左衞門先へ參り、是迄と御人數を揚, 一神君首實檢被遊、水野惣兵衞なと申上、小幡へ御引取、九日晝ときなり、同, 一勝入首、刀、采を分捕、さゝの雪とにふ、和泉守兼定の刀の由、永井傳八え丹, 一大久保新十郎、土肥權右衞門を追欠る、鑓の石〓に③新十郎を〓落し、其, の息を休め、明朝々込に人數をかけ、兩將を可討と被申、右のかみ上村の, 九郎も高名する、新十郎後相模守、時ニ馬の鞍大コロノ蒔繪、前に委し、, 大正十二年四月九日, 時小幡ニ, 家康ハ晝, 入ル, 大久保忠, 中ニ入ル, 泰, 秀吉上田, 天正十二年四月九日, 八二八

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  • 時小幡ニ
  • 家康ハ晝
  • 入ル
  • 大久保忠
  • 中ニ入ル
  • 秀吉上田

  • 天正十二年四月九日

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  • 八二八

注記 (25)

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