『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.794

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けん、胸板より脊中へ打拔れて、馬より落て死したりけるを、首を取らん, 毎日毎夜馬に乘りて樂しみけり、依て佐竹義宣より扱を入、北條家の娘, を相撰み、五六人して佐山壹人を目懸て討たりけるに、佐山運や盡たり, とする所を、皆河勢なり重なり來り、互に亂れ合戰ふに、何れと勝負は見, 談に相なり、事相濟み、九月十六日、互に陣を引拂ひけり、, 亦百日の長陣、城地嶮山のよしに見へたりとそ、, 戰ひもなかりけお、夫より日數過行まゝに、皆河の勇氣を見せんために、, へさりける、斯て日も暮れ人馬も疲まけれは、本の陣所へ退きと、其後は, へける所へ、小田原かたは見て取て、打物業にては叶はすと、鐵炮の上手, 小田原實記には、皆河勢は馬に乘り、佐竹は花火をあけて樂しみけり、, 馬ヲ被出、藤岡へ御陣ヲ張リ給フ、佐竹義重後詰ノ爲出勢有、然ルニ敵モ味, 天正十三年四月下旬、長沼ノ皆河山城守カ城ヲ御調儀ノ爲、小田原ヨリ御, を皆河山城守廣照の妻として遣し、末〳〵睦敷いたす〓きよしにて和, 方モ互ニ切所ヲカマヘ、佐竹衆ハ大和田ニ在陣ス、壬生上總介佐竹方ヲ背, 〔小田原記〕四佐竹對陣井上〓對治之衷, 天正十二年七月十五日, 和睦成ル, 女ヲ廣照, ニ嫁ス, 政道鐵砲, ニテ打タ, 北條氏ノ, 七九四

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  • 和睦成ル
  • 女ヲ廣照
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注記 (23)

  • 1559,713,59,2139けん、胸板より脊中へ打拔れて、馬より落て死したりけるを、首を取らん
  • 1096,712,58,2143毎日毎夜馬に乘りて樂しみけり、依て佐竹義宣より扱を入、北條家の娘
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  • 616,783,57,1445亦百日の長陣、城地嶮山のよしに見へたりとそ、
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