『大日本史料』 11編 10 天正12年10月 p.415

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る〓宴を催したり、, 大いに熱心にして、信心篤き爲め、その父なるフランシスコ王より寵愛せられたり、彼, とを伴ひてその家に歸り、直ちにその妻と家族及び家人一同に説教を聽かせ、約八十人, 日本人イルマンがパンタリヤンの城に於て説教を行ひ居りし時、豐後國の大身の一人の, とには斷じて同意せざりき、彼女も亦父の意に背くことを〓れ、その希望を示さざりき、, は暴君親賢より屡々激しき反對を受けしが、迫害の加はるに從ひてその信仰と徳行は盆, ミサを聽く爲めパードレ一人をその城に招かんことを請ひたり、彼は數年前離籍せられ, 兄弟にて、名を式部殿と呼ぶ武士同所に在りて、悉く説教を聽終りて洗禮を受け、バス, 々強くなりたり、親賢は彼にその一女を嫁せしめたれども、彼女がキリシタンとなるこ, たるシマンの代りとして、ゼザベルの兄弟親賢が養子とせし青年にて、デウスのことに, チヤンなる名を與へられたり、翌日彼はパードレ・ペロ・ゴメスと日本人イルマン一人, 聖週に當り、國王の第三子にして、現在十七歳なるドン・パンタリヤンは、懺悔をなし, とを請はしめたり、親賢このことを喜ばざりしにも拘らず、パードレはこれに應じたり、, されどパンタリヤンは彼女を説得し、パードレ・ぺロ・ゴメスに、來りて洗禮を授けんこ, 田原親盛, 田原親賢, 式部殿, 天正十二年是歳, 四一五

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  • 田原親盛
  • 田原親賢
  • 式部殿

  • 天正十二年是歳

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  • 四一五

注記 (19)

  • 1825,614,56,479る〓宴を催したり、
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