『大日本史料』 11編 16 天正13年5月 p.264

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害せはやと仰けるを、則延さま〳〵諫め參らせ、甲斐なき月日を送り給ふ、かゝる所に, め、世に又人あり共思はさりしに、不慮に入道殿牢〳〵の身と成給へは、龍串の船津より, 伊豫御莊宗雲・法華津則延ト共ニ、長宗我部元親ト土佐渡川ニ戰ヒ、敗レ逃ルヽコ, 〔土佐物語〕十一條入道殿逝去之事, 逃て、幡多の山かけに立隱れてそ居たりける、去程に、中村の士ともは殘らす大津の御, は、頼もしく思し召けるに、皆一戰に打負、這々本國へ逃歸りけれは、今は力なし、自, 給へは、一度中村へ歸座せさせまいらせんと、御庄・津嶋をかたらひ土左國へ攻入しか, 爰に入江左近と云ものあり、一條入道殿の寵臣にて、俸祿高く衣食にみち、奢をきわ, 所又は岡豐へ召れて仕へけれ共、左近は善巧便侫の者なれはとて、元親深く惡み給ふと, 聞えしかは、身の置所なき儘に、入道殿を討て是を忠節にして、元親へ仕んとや思ひけ, ト、同年十二月是月ノ條ニ、嗣子内政伊豫ニ薨ズルコト、本年六月五日ノ條ニ見ユ、, 入江左近昔に替りたる有樣にてしほ〳〵として出來たる、入道殿御覽して是はと計宣ひ, ん、伊與國へ立越、入道殿へそ參りける、哀れなるかな、入道殿は法花津播磨守を憑み, 〔參考〕, 多ノ山蔭ニ, 討入リ敗北, 兼定土佐ニ, 潛ム, 入江左近幡, 左近兼定ヲ, 訪フ, ス, 天正十三年七月一日, 二六四

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  • 多ノ山蔭ニ
  • 討入リ敗北
  • 兼定土佐ニ
  • 潛ム
  • 入江左近幡
  • 左近兼定ヲ
  • 訪フ

  • 天正十三年七月一日

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  • 二六四

注記 (24)

  • 282,711,67,2220害せはやと仰けるを、則延さま〳〵諫め參らせ、甲斐なき月日を送り給ふ、かゝる所に
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