『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.105

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大軍にて渡る事成ましく候、其間に四國中を靜めて、そこ〳〵へ人數分をして、扨上方, 守なれは、是非立合越、京方を追落さんと内通の使、今にしきなみを打てニは、何之造, 作もなく、兩月の間に三ケ國は形付申へし、其時は元親籏本となりて、四國一統になる, 御覽候へ、四州の内にては覺こそいはね、扨四國の人數各の心中にかはらす、いつれも, あたれるにして、秀吉公を敵にして、半年もこたへらるへき所あらは、有のまゝ言諍て, 勢の打向んを待て見候はんは、何れの國を前にあて、いつれの處をは後にあてゝ、三ケ, 立合て謀叛すへきと内通之所を頼みたるはかりなれは、推量のみにて候、其推量的面に, 彈正忠も其事をこそ吉野殿へ申上て候、今某清良か申所、何れも實儀ならす、彼も是も, 月はせり合へき見立はなく候、古吉野殿と將軍尊氏卿と數年の軍あるに、すくれたる名, やならすやの時、中國より押て見るへし、かれは豐後・薩摩の兩敵と取合最中なれは、, 將勇士の軍書を見るに、四國の圖式は、大敵を引受る島にては候はす、昔土居備中守・, 有へし一味にきわめての上に、京勢を防へき地方なけれは、紀伊國・和泉・河内間へ押, さみて一手もとらせ候まし、さて元親秀吉公への口傳に准へて、責に乘て攻入らんとす, へし、是に押之人數を分て、本陣は道後に籏を立候はゝ、阿讚兩國の國持、兩地頭の留, 天正十三年八月六日, 一〇五

  • 天正十三年八月六日

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  • 一〇五

注記 (16)

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