『大日本史料』 11編 別巻1 p.21

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下、ことに重立ちたる人々の大多數も彼と共に歸依せり、, られたるのち、程なく更に勝れたる生活に移りたり、その子跡を繼ぎしが、年未だ若く、, のちに國事を處理し、耶蘇會のパードレ等の勸説に從ひ、その教を受けて歸依せり、臣, は他に求むるに及ばず、かくも賢明にして、日本の諸宗派のことをかくも十分に學びたる, 與へ給ひ、彼をして日本に於ける總ての諸侯に先んじ、一五六三年, て、その父は初め殆んど肥前全國を領せしが、その生命の終に近き頃、龍造寺と稱する部, また偶像の司祭にして國を亂せる坊主等の壓迫によりて、直ちに父の範に倣はざりしが、, は彼にキリシタンとなりて死するの恩惠を授け給へり、かくて彼は教を受けて洗禮を授け, べからざる效果を擧げたり、彼の歸依の報は速に各地に傳はり、キリストの教に入る理由, 領首たりしを以て、他の人々の間に優越の地位を占め、大なる權力を存したり、我等の主, 豐後の王が、キリシタンとなりたるを以て足れりといはれたり、他の一人は有馬の王にし, 下、他の人々と共に彼に叛きて、その大部分を失ふに至れり、しかれども、かつて同國の, 教を容れしめ給ひしなり、彼は比類無き熱情を以て偶像教の寺院と像とを破壞し、またそ, 第三は大村の領主なり、名をドン・バルトロメオといひしが、デウスは彼に格別の恩惠を, より我が主の, ○永祿六年, 二當ル、, 入信, 有馬鎭貴ノ, 入信, 大村純忠ノ, 天正十年是歳, 二一

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  • ○永祿六年
  • 二當ル、

頭注

  • 入信
  • 有馬鎭貴ノ
  • 大村純忠ノ

  • 天正十年是歳

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  • 二一

注記 (23)

  • 636,583,59,1456下、ことに重立ちたる人々の大多數も彼と共に歸依せり、
  • 987,592,63,2263られたるのち、程なく更に勝れたる生活に移りたり、その子跡を繼ぎしが、年未だ若く、
  • 754,588,63,2296のちに國事を處理し、耶蘇會のパードレ等の勸説に從ひ、その教を受けて歸依せり、臣
  • 1686,590,62,2298は他に求むるに及ばず、かくも賢明にして、日本の諸宗派のことをかくも十分に學びたる
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  • 1454,593,65,2296て、その父は初め殆んど肥前全國を領せしが、その生命の終に近き頃、龍造寺と稱する部
  • 874,591,64,2258また偶像の司祭にして國を亂せる坊主等の壓迫によりて、直ちに父の範に倣はざりしが、
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