『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.699

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

醫師天野宗範大に働きて、一忠と共に彼者共を追返し、即て門を閉たり々, り、此中に依藤半左衞門、其家城に近けれは、衆に先立て殿中に參る、一忠床, ひ、疉表を切てこれを包み、縁を以て前後を括り、携へ歸て葬りたり、村詮年, 五十二、山上山下騷動斜ならす、城に驅付る者あり、横田氏に集る者あり、一, 見に腰を掛て子細を語り、此正宗の刀は、亡父太閤に賜はる所なり、村詮か, 甚吉、石川茂兵衞、鵜飼治右衞門等を始として、九十四人、其外徒士足輕、都合, 著到に記し、疑はしき者にき、天守を守れと下知せらる、横田氏に籠るもの, 人これを感したり、感應寺の日長上人、深浦門より入來り、村詮の死骸を乞, 無道、亡父の心にも叶ふましたれき、此刀にて切付たりと申されたり、聞く, を聞て逃失けれ、後加藤氏, 二百餘人、表門裏門を固め、大將主馬之助は、朱の小具足に、白き陣羽織を著, 城の老若上を下へと返したり、一忠登城の輩の姓名を聞て、腹心の者をは, き、弟主馬之助、三好右衞門兵衞、同左内、同玄蕃、高井左吉右衞門、安井久右衞, 門、同田平、近藤善右衞門、柳生五郎右衞門、同治郎、同治郎吉、矢木甚兵衞、櫻間, し、軍扇を以て八方を下知す、弟勘解由は、此頃美作湯原に在たるか、此騒動, に仕へしと云へり、かく大事に至りたれ, 水口侯, の先祖, 面々, 二籠レル, 村詮ノ邸, 慶長八年十一月十四日, 六九九

割注

  • 水口侯
  • の先祖

頭注

  • 面々
  • 二籠レル
  • 村詮ノ邸

  • 慶長八年十一月十四日

ノンブル

  • 六九九

注記 (23)

  • 1907,657,66,2200醫師天野宗範大に働きて、一忠と共に彼者共を追返し、即て門を閉たり々
  • 1787,660,70,2209り、此中に依藤半左衞門、其家城に近けれは、衆に先立て殿中に參る、一忠床
  • 1320,657,66,2208ひ、疉表を切てこれを包み、縁を以て前後を括り、携へ歸て葬りたり、村詮年
  • 1203,650,66,2198五十二、山上山下騷動斜ならす、城に驅付る者あり、横田氏に集る者あり、一
  • 1668,661,70,2204見に腰を掛て子細を語り、此正宗の刀は、亡父太閤に賜はる所なり、村詮か
  • 620,642,62,2221甚吉、石川茂兵衞、鵜飼治右衞門等を始として、九十四人、其外徒士足輕、都合
  • 972,646,64,2217著到に記し、疑はしき者にき、天守を守れと下知せらる、横田氏に籠るもの
  • 1436,657,66,2211人これを感したり、感應寺の日長上人、深浦門より入來り、村詮の死骸を乞
  • 1556,653,66,2214無道、亡父の心にも叶ふましたれき、此刀にて切付たりと申されたり、聞く
  • 268,649,58,772を聞て逃失けれ、後加藤氏
  • 501,649,63,2213二百餘人、表門裏門を固め、大將主馬之助は、朱の小具足に、白き陣羽織を著
  • 1087,648,63,2208城の老若上を下へと返したり、一忠登城の輩の姓名を聞て、腹心の者をは
  • 852,649,64,2217き、弟主馬之助、三好右衞門兵衞、同左内、同玄蕃、高井左吉右衞門、安井久右衞
  • 736,647,63,2217門、同田平、近藤善右衞門、柳生五郎右衞門、同治郎、同治郎吉、矢木甚兵衞、櫻間
  • 384,646,60,2212し、軍扇を以て八方を下知す、弟勘解由は、此頃美作湯原に在たるか、此騒動
  • 267,1662,59,1194に仕へしと云へり、かく大事に至りたれ
  • 300,1448,41,181水口侯
  • 253,1452,41,179の先祖
  • 916,284,35,73面々
  • 956,291,38,158二籠レル
  • 996,281,43,174村詮ノ邸
  • 168,718,43,425慶長八年十一月十四日
  • 166,2447,41,124六九九

類似アイテム