『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.515

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然る所に北より入來る寄手森右近太夫, 喜内か働に極れり、熊谷十左衞門も早く城下に付て首貳つ打取、堀太郎兵, 夫は少し先にて首をとる、中口ニて興國公、十人の兒小姓共先へ參れと下, 衞門、市原加右衞門、佐藤仁左衞門等居たるか、各働て級を取ル、片岡次郎大, 歸る、首は彼短册ゑほるさしたる士終に奪得たり、其時太田善右衞門、内藤, 仰て御覽あるに、鎧を切たると覺えて刄缺け血付たり、其上證人有けれは, 二甲首を本陣に遣したる、池田の手にて大阪第一の功也、其場に垣見半左, 士四人、短册ゑほるさしたる士壹人都合五人にて其首を奪ひ、刺物共に取, 船場へ行、御堂筋の土橋より城中へ入らんとしたるに、南方の寄手入亂れ、, 北へ廻り、西の門前ニ至りたれは、白しなへ指たる敵壹人出たるを切倒す、, 知し給へは、皆々はせ向ふ、中村喜内白母衣かけて今橋の下なる川を越し、, 三郎四郎此躰を見て、助來らんと急けれ共、路隔りて奪れたる後にそ來る, に出けれは、首尾〓つゝをしと尋らる、右の次第を申たれは、其刀見せよと, の從者四半の背旗さしたる, 次に古田八郎左衞門、八木徳左衞門も馳來る、扨喜内船場にて興國公の側, 邊迄追詰、彼武者馬より飛下りて暫戰ふ、角左衞門終に彼武者を討取て、此, ○忠, 政, 衞門ノ戰, 熊谷十左, 中村喜内, 死, 元和元年五月七日, 五一五

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  • ○忠

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  • 衞門ノ戰
  • 熊谷十左
  • 中村喜内

  • 元和元年五月七日

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  • 五一五

注記 (24)

  • 1114,638,57,1208然る所に北より入來る寄手森右近太夫
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