『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.868

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思ひ出し、誠に老少不定といひなから、餘多持たる子成共、離れは悲しろる, 髮、上を輕したる行跡なり、沙汰に及ん内は、閉門申付よと宣ひは、いそき奉, 歎のなからん、去なのら、十左衞門一應訴もせす、主も無き樣に我儘のてい, て悲生とは、今此事かと思われたり、或時十左衞門、夜もすから子息の事を, べきに、數ならぬ獨子の、父に先立愁しさ、子共の末を思ひばこそ、是と申も, さなりて、最物淋しく暮しけれは、欝胸不快、今閉門こそ幸なり、上方一見に, に引籠、後の世を念し居けり、一ぞく驚、此事隱密不可叶、屋形へ披露仕んと、, 君故か、今は浮世に何かせん、出家せばやと思ひけり、自ら髮を卸し、小座敷, 登り、日比の欝氣をはらさんとて、ひそかに住家を立出て、小保内山を打越、, 行に命して門戸を閉さしむ、十左衞門愁傷の〓かわかぬに、亦うき事のか, ぬはなかりけり、父十左衞門始、何れも哀傷之〓袖をしほりぬ、誠に樂み盡, すれ共甲斐なく、日を經て、慶長十九年八月廿一日、終に世を去りぬ、聞人悲, 仙北へ差懸り、伊勢道を經て、無程上方へ著けれは、京、大坂、伊勢、熊野をも一, 森岡へ告けれは、利直公大に怒りたまひ、子を失ひ親に別る、何れも誰か悲, 見し、其後紀州高野山に趣て、爰こそ能き住家とて、住所を定、抑、十左衞門何, 健峯康公禪定門, 十左衞門, ノ末路, 慶長九年是歳, 八六八

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  • 健峯康公禪定門

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  • 十左衞門
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  • 慶長九年是歳

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  • 八六八

注記 (20)

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