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の地加へ賜る、, 給ふ, 守知高を援く, に、兄が所, 同き十一年、重勝四十七, 勝、徳川殿に隨て奧に向ふ、おのが城には家の子同助左衞門尉を留め置く, 遠攻にして日數を送る、關が原の味方敗ると聞えて、寄手終に引返しぬれ, を取らんとす、助左衞門尉これに隨はず、重勝程なく馳せ上り、都合其勢千, 上方又軍起りて、石田治部少輔三成、助左衞門尉が許に使立てゝ、松坂の城, 見えず、又勝茂が父加賀守直茂が許より使來て、勝茂を堅く制しければ、只, 二百人、おのが城に立籠り、軍兵少々引分て、安濃津の城に差向け、富田信濃, へと辭し申す、大御所聞召し、あつはれ今の世には類ひ少き人なれと感じ, して、松坂の城に押寄す、此城元より究竟の要害、容易く攻め落さるべうも, ばん頃、かの父が官なれば、彼にこそ兵部少輔をば望ませ侍るべきにて候, ば、重勝遂に城を落されす、此年十一月徳川殿、重勝が功を賞せられて、所領, 領賜て、兵部少輔になさる、重治畏り承て兄が孤子の候なる、彼が成人に及, 去程に鍋島信濃守勝茂、一萬餘騎を引具, 歳にして卒す、息男僅に三歳なりしかば、舍弟大膳亮重治, 〔四〕, 二萬三千石加へられて、六萬石を領, を差向くといふ、, すといふ、一説に五萬四千石といふ, 侍十八騎、足輕百人, 重勝、, 一説に, ○下, 略, 關ケ原ノ, 役松坂籠, 城, 重治ノ謙, 讓, 慶長十一年六月十六日, 二〇〇
割注
- 二萬三千石加へられて、六萬石を領
- を差向くといふ、
- すといふ、一説に五萬四千石といふ
- 侍十八騎、足輕百人
- 重勝、
- 一説に
- ○下
- 略
頭注
- 關ケ原ノ
- 役松坂籠
- 城
- 重治ノ謙
- 讓
柱
- 慶長十一年六月十六日
ノンブル
- 二〇〇
注記 (34)
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