『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.267

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

月廿六日、武州忍にて死、七十一歳、武州比企郡松山領廣正寺に葬る、, 力廿騎、同心七十人、小大膳御預の三千石組知高に結下され、兩御所の御朱, 沼小大膳跡、廣正へ仰付らるゝ所、歳至極仕、眼も見へす、病人なれは、御免候, 印賜、此他御内書等度々賜る、御機嫌伺出府の時、台徳院殿の御前に召出さ, 勤れは無筆同樣にて、算用曾て存されは、御代官衆連參度と願けれは、小栗, 庄右衞門、天野彦右衞門、久下八九郎、大河内孫十郎、此四人組分にて相越、與, れ、東照宮御戰場の御咄申上へし仰出さる、老衰眼氣惡敷に付、平川口より, へと再三御詫申といへとも、重々懇命を蒙る上は、餘儀なく御請して、忍拾, 山壹萬石下さるへき間、與力同心差上候へと仰あれとも、御一門方、及他家, 御臺所口まて乘輿御免、此節席不定、御老中部屋へ出入仕候、同十一午年七, 御陣の節御間に合兼へし、只今のまゝにと言上す、慶長五子年、忍御城代菅, 貳萬石心の儘に仕置仕へしと仰渡さるれとも、御膝元にては御威光を以, より召出されし歴々の衆へ下され然へし、老年にて城地の望これなし、御, 手廣に成され候ては、悴覺悟により、御取立願奉へし、與力同心差上候ては、, 奉し、帝鑑之間席になる、三河以來の與力は、願て直勤す、廣正こと、伊豆國韮, 忍十二萬, 石ヲ預力, 石ヲ辭退, 韮山一萬, 乘輿御免, ス, ル, 慶長十一年七月二十六日, 二六七

頭注

  • 忍十二萬
  • 石ヲ預力
  • 石ヲ辭退
  • 韮山一萬
  • 乘輿御免

  • 慶長十一年七月二十六日

ノンブル

  • 二六七

注記 (24)

  • 243,653,66,2015月廿六日、武州忍にて死、七十一歳、武州比企郡松山領廣正寺に葬る、
  • 712,646,65,2220力廿騎、同心七十人、小大膳御預の三千石組知高に結下され、兩御所の御朱
  • 1297,647,64,2223沼小大膳跡、廣正へ仰付らるゝ所、歳至極仕、眼も見へす、病人なれは、御免候
  • 597,648,62,2216印賜、此他御内書等度々賜る、御機嫌伺出府の時、台徳院殿の御前に召出さ
  • 945,645,65,2220勤れは無筆同樣にて、算用曾て存されは、御代官衆連參度と願けれは、小栗
  • 828,647,65,2219庄右衞門、天野彦右衞門、久下八九郎、大河内孫十郎、此四人組分にて相越、與
  • 477,660,66,2205れ、東照宮御戰場の御咄申上へし仰出さる、老衰眼氣惡敷に付、平川口より
  • 1181,662,65,2207へと再三御詫申といへとも、重々懇命を蒙る上は、餘儀なく御請して、忍拾
  • 1766,651,63,2215山壹萬石下さるへき間、與力同心差上候へと仰あれとも、御一門方、及他家
  • 359,651,67,2213御臺所口まて乘輿御免、此節席不定、御老中部屋へ出入仕候、同十一午年七
  • 1415,644,67,2226御陣の節御間に合兼へし、只今のまゝにと言上す、慶長五子年、忍御城代菅
  • 1064,644,63,2223貳萬石心の儘に仕置仕へしと仰渡さるれとも、御膝元にては御威光を以
  • 1650,656,64,2212より召出されし歴々の衆へ下され然へし、老年にて城地の望これなし、御
  • 1532,644,65,2236手廣に成され候ては、悴覺悟により、御取立願奉へし、與力同心差上候ては、
  • 1883,651,65,2214奉し、帝鑑之間席になる、三河以來の與力は、願て直勤す、廣正こと、伊豆國韮
  • 1194,280,41,172忍十二萬
  • 1150,279,40,165石ヲ預力
  • 1853,280,39,169石ヲ辭退
  • 1897,277,41,175韮山一萬
  • 371,281,42,170乘輿御免
  • 1813,283,31,30
  • 1113,279,24,30
  • 141,718,43,469慶長十一年七月二十六日
  • 149,2456,43,119二六七

類似アイテム