『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.732

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に赴き、御〓下にあり、八月御入國のゝち、下總國香取郡大須賀領のうち, 木貞宗の刀をあたへらる、後、近江國甲賀の士八十三騎を附屬せられ、家, にをいて、三千石をたまふ、奉行職故のことし、のち、八王子の城うけとり, 賜ひ、二萬石をあつけられ、興國寺の城に住し、七年正月二十七日、封地の, として、彼地に至るにより、職をゆるされ、文禄元年二月朔日、釆地の御朱, 四年の春、豐臣太閤の妹濱松に入輿により、大坂におもむき、太閤より高, 御朱印を下さる、これより先御諱字を賜ひ、康景と稱し、奏者、ならひに年, 男の役をつとめ、或は東照宮、台徳院殿より御内書數通を賜ふ、十二年三, 士二十四人をくはへ、其給分として、三遠兩國のうちにをいて二千二百, 貫文の地をたまふ、十八年、太閤北條征伐として關東に發向のとき、仰を, 印を下さる、慶長五年、上杉景勝御征伐として御發向あるにより、大坂城, うけ、駿河國清見寺の旅館にをいて、これを應し、それよりのち、小田原, の御座所西丸の城代をにとめ、關原の役には、江戸に參りて、西城の御留, 守居をつとむ、六年二月、駿河國富士駿東二郡のうちにをいて一萬石を, 月九日、康景か輕卒、公民を殺害せし事に坐して、御勘氣蒙り、興國寺をさ, 慶長十二年三月九日, ニ住ス, 諱字ヲ賜, 興國寺城, ハル, 七三二

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  • ニ住ス
  • 諱字ヲ賜
  • 興國寺城
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  • 七三二

注記 (21)

  • 1219,732,66,2137に赴き、御〓下にあり、八月御入國のゝち、下總國香取郡大須賀領のうち
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