『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.181

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官使にしたがひゆく、同十二年十二月十四日卒す、, にすへき所の物、こと〳〵く明白にして、これを萬世につたへば、醫門の, 幸、何事かこれにまさらんやといふ、しかりといへとも、大權現ゆへあり, て果したまはず、多年南遊のこゝろざし切なりといへとも、台命いかん, るによりて、大權現に獻ず、宗巴在世の中、好て書をよみ、儒術をたのしむ, 藏書千餘部、婦人女子の記する所にいたるまて、よくこれをたくはふ、同, していわく、本朝古來商舶の便によりて、漢土の藥を買、其眞僞好惡をわ, まへ知のみならんや、素難の玄要、鍼灸の太旨、をよそ醫家のつまひらか, とし五十八、西山鹿王院に葬、家藏の玉海綱目、そのかみ本朝一部の書た, の頼ところの物は藥なり、伏してねがはくは、幕下の書をたまはり、大明, ともしがたき故にやみぬ、南都東大寺の蘭奢待をきらしむるとき、醫家, つる同十年、洛陽正親町にをひて宅地をたまふ、一日幕下に陪して言上, 國に使して、名醫の家に寓居せは、何ぞ只、玉石草木蟲魚禽獸の品をわき, きまへす、是をもつて病を療すといふとも、何そそのしるしを得んや、醫, の業にあらずといへとも、宗巴が事に堪たるをもつて、台命ありて勅使, 慶長十二年十二月十四日, ○寛政重修諸家譜二, ハ、法名昌安トアリ, ヲ家康二, ヒ行ク, 封使ニ隨, 獻ズ, 正倉院開, 儒學ヲ好, 玉海綱目, ミ藏書多, ト欲シテ, 果サズ, 入明セン, 一八一

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  • ○寛政重修諸家譜二
  • ハ、法名昌安トアリ

頭注

  • ヲ家康二
  • ヒ行ク
  • 封使ニ隨
  • 獻ズ
  • 正倉院開
  • 儒學ヲ好
  • 玉海綱目
  • ミ藏書多
  • ト欲シテ
  • 果サズ
  • 入明セン

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  • 一八一

注記 (30)

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