『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.329

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そへて、相坂, むね、其催促のかれかたく、つゐに熊〓を質として大坂にをくる、そのゝ, ち、石田三成、居城佐和山におもむくのとき、大津に來りて、高次か一味の, けれは、東照宮より御書をたまふ、四日、家臣粟飯原助右衞門某に歩卒を, 太山惣右衞門某をして、事のよしを關東に注進す、この月三成かもとよ, 某、戸田武藏守重政、平塚因幡守爲廣小川土佐守祐忠、朽木元綱等大津に, 宿陣し、また元綱をして實子熊麿を人質に出し、北國表に出陣すへきの, 月、北國表にむかふところの諸將大谷吉繼、脇坂安治、をよひ赤澤備後守, 陣し、家臣等か妻子をよひ粮米等を城中に取入、石川久左衞門某、盆田藤, 七郎某をして、井伊直政をよひ弟高知か許に、籠城の事をまうしをくり, り、北國表には押を置、美濃國にはせむかふへしといひ送るにより、諸將, ことを謝するにより、計策のため、朽木元綱とゝもに北國に出陣し、家臣, 東野より引かへし、海津より船に取乘、湖水を渡り、三日の曉大津城に著, 答ふるといへとも、喜六郎某は實子にあらすとてこれをうけかはす、八, にむかはしめ、また斥候として石川宇右衞門某を, 軍をかへす、高次は殿として一日跡に引さかり、九月二日, 近江國, 慶長十四年五月三日, 貞享呈, 貞享呈書, 書三日, 關寺口, 高次海津, 大津ニ旋, ヨリ軍ラ, 大津籠城, ス, 慶長十四年五月三日, 三二九

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  • 貞享呈
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  • 高次海津
  • 大津ニ旋
  • ヨリ軍ラ
  • 大津籠城

  • 慶長十四年五月三日

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  • 三二九

注記 (29)

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