『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.359

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十八年、小田原御陣のときもしたかひたてまつり、八月關東にいらせた, 護屋御陣のとき、清秀老年にをよひしにより、恩免ありて供奉の列にあ, とも、ゆるされす、強て國にかへるたきよし鈞命をかうふり、海老名にか, まふのゝち、釆地をうつされ、加増あり、武藏上總兩國をよひ相模國高座, しかは、錦の御羽織を恩賜せらる、このとき供奉せむ事をこひ申といへ, るのところ、其志を御感あり、また宇都宮にまいりて、台徳院殿に拜〓せ, ゆ、太閤もとよりその武名をしれるかゆへに、羽織をあたへらる、三年致, たひに及ふ、五年上杉景勝御征伐のときも、御跡をしたひて小山にいた, らすといへとも、御渡海の實否をうかゝはむかため、御跡をしたひてか, 清秀か家に御駕をよせられ、呉服をよひ御鷹の雁等を恩賜ある事ふた, の地にいたりしかは、その志の厚きを御感あり、仰によりて太閤にまみ, 仕し、釆地高座郡海老名村に住す、慶長年中、東照宮放鷹したまふのとき, へる、十五年七月十三日、海老名にをいて死す、年八十五、法名性順、三河國, へしと申、すなはち御許容ありて、軍をかへして小幡城にいらせたまふ, 郡のうちにをいて、すへて五千石を知行し、諸役をゆるさる、文祿元年、名, 慶長十五年七月十三日, 慶長十五年七月十三日, 三五九

  • 慶長十五年七月十三日

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  • 三五九

注記 (18)

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