『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.350

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へ著陣し、, 日薨逝したまふ、御遺言に、朝鮮在陣の軍勢不殘ひきとるへしと、委細、家康, は、主計頭、左京大夫、加賀守、壹岐守、甲斐守相談し、持の城々放火し、陣拂をし, し、此旨可申觸と被仰置に付而、三人博多迄渡海、其旨朝鮮へふれられしか, 公、利家卿に被仰置しかは、藤堂佐渡守、石田治部少輔、淺野彈正を朝鮮へ遣, は、夜前早速罷出段、神妙に被思召、御前を被成御免、委は治部少輔、右衞門尉、, 徳善院より、可申來との儀なり、あんのことく、三人より三使來り、口上に、主, 慶長三年戊戌の年、夏の頃より、太閤秀吉公、御不例の御心あつて、八月十八, 計頭數ケ條不屆之儀有之といへとも、夜前早速登城、神妙に思召、御勘氣を, て、順風に帆をあけ、日本對馬へ渡海、朝鮮の番船共おそれをれし、船軍もな, 讒言にあふといへとも、無科段、直ニ申ひらき、豐臣氏を被下、重而先將被仰, 付事、太慶此上あるましと、侍共休息させ振〓をなし、對馬へ渡海し、高麗國, 御ゆるし被成條、早々登城可致との上意の旨也, 早速登城, 〔清正記〕三主計頭は、御暇被下、伏見を立、肥後國熊本歸城し、今度無實の, 慶長十六年六月二十四日, ○下略、清正, ○中略、處々ノ城攻、并二蔚, ○中, 辨疏ノコト, 山籠城ノコトニカヽル, ニ力, 略, ヽル、, 解ク, 鮮征伐, 再度ノ朝, 秀吉ノ怒, 慶長十六年六月二十四日, 三五〇

割注

  • ○下略、清正
  • ○中略、處々ノ城攻、并二蔚
  • ○中
  • 辨疏ノコト
  • 山籠城ノコトニカヽル
  • ニ力
  • ヽル、

頭注

  • 解ク
  • 鮮征伐
  • 再度ノ朝
  • 秀吉ノ怒

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 三五〇

注記 (30)

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