『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.408

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のこれのといひて、ゆかざる樣に、粗聞及たり、近比不心懸也、今程は世間, ともに數寄はやる折なれば、何方へも使者にやりたる時、清正へ馳走の, もとに居て、家中の大身小身ともに、侍共茶湯方稽古いたし、數寄屋を立, に宣は、きけば小性共、其外若き者を、數寄致す者共が、茶湯にて呼ば、かれ, 共が文殊普賢と申たる也、其道巴を、二百石知行下しをき、半年つヽ、くま, 或は座敷ニ圍を付て、夏は風爐の茶湯、冬は壺の口切の茶湯に、清正を申, ために茶をくれられん時、樣子能呑てこそ、我ためも然るべき事なるに, の樣に宣てより、若輩なる者共まで、數寄稽古いたしたる也、予は、其比は, 請、又、傍輩中にも、毎年茶湯いたしたる也、此比、小性馬廻の若き者共を、茶, 若年なる故、委く不存事なれども、香車風流をやめて、田夫野人にては、茶, 時宜作法散々取亂ては、清正迄の耻辱なるに、數寄いたす者へは、此方よ, 湯にて呼候へば、六ケ布事に思ひ、明朝は去がたき隙入、或は精進にて有、, 又き俄ニ虫氣になりたるなどゝいひて、行ざると言事を、清正聞て、夜話, り望みても折々ゆき、せめて、人中にて大耻かゝぬ樣に、呑效べき事と、咄, 湯はなるまじきと思はれ候、其上、城の本丸の内にも數寄屋有て、家來の, 慶長十六年六月二十四日, テ茶湯ヲ, 習ハシム, ニスヽメ, 清正侍臣, 四○八

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  • テ茶湯ヲ
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  • ニスヽメ
  • 清正侍臣

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  • 四○八

注記 (21)

  • 994,688,66,2147のこれのといひて、ゆかざる樣に、粗聞及たり、近比不心懸也、今程は世間
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