『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.504

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たるを、遺恨にや思ボん、進出申けるき、此淵既に五日迄埋たれ共、少しも其, にいたす▲き旨被仰渡ゆへ、是則八幡宮、熊野三所大權現の御加護なりと、, り、三所大權現へ祈誓被成けり、由利龜ケ崎、ならひに鶴ケ岡大山櫛引御藏, か願場所、甚難澁の由、山形殿へ申て相支へたる所に、大學強て願ひ被申付, 歡喜にたへす歸りける、翌慶長十七壬子年三月十五日より、普請にとり懸, 入都合十二萬三千七百石、此出人足七千四百二十二人也、出羽守殿下知に, 外廓青源寺に葬り、法名青源院殿前豆州大守天室良精大居士と號す、依之、, を埋ずしては、堰成就しかたしと、樣々のうめ草にて、五日迄埋させたれと、, 幡守を始め、何れも、其數多く狩川へ被詰けり、野も山も皆人にて、往古頼朝, 公富士卷狩せられしも、斯やと思ふ計也、其頃清川の方に、大成淵有り、先是, 伊豆守嫡子の九郎兵衞光惟、此度普請場に詰居りしか、兼而父伊豆守、大學, 爰に龜ケ崎の城主志村伊豆守光安は、去年八月辛亥七日卒す、龜ケ崎南の, 印なし、縱ひ幾日經たり共、中々御普請成就する事、不可有と覺ゆ、然る上は, よつて、下筋芹田伊豫、酒田志村九郎兵衞、尾浦下對馬守、鶴ケ岡城代新關因, 少しも其印なく、たゝいたつらに、精衞か海を埋んとするに異ならず, ○中, 略, 工事著手, 費用及ビ, 人夫, 慶長十七年三月十五日, 五〇四

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  • ○中

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  • 工事著手
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  • 人夫

  • 慶長十七年三月十五日

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  • 五〇四

注記 (22)

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