『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.567

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るへし、, の菩提所萬歳山臺雲寺は、耶蘇の賊徒に殘却せられ、寺地も荒廢せしかは、, すから諸大名衆より、關船數十艘御出し、御馳走ありし由を記す、慶長十六, 同十八年癸丑六月、駿府より、有馬日野江城へ歸りたまふ、, 年の事に係れりといへとも、前條の趣に因れば、此時迄滯留したまへるな, 年甲寅、一寺を建立して、觀三寺と號す、幡隨意の法弟信譽を住持とす、歴代, 岸山白蓮寺是なり、, のとき、肥前高來郡のうちに、かの宗門のものこれあるよしを台聽に達す、, を化度し、從はさる者は、公武威を以て是を成敗し、封内頗平治す、慶長十九, 仰によりて、淨土宗の沙門萬隨意を、高來の郡に招きて、其法をむあめしむ、, へと上意にて、御夫婦御暇御拜領、御同道にて、肥前へ御下りなされ候、船中, 是より觀三寺を以て、菩提所となし、家士徒隸に至る迄、其檀越たらしむ、二, 依て、淨土の碩學幡隨上人、九月、有馬へ下向ありて、道場を設て、耶蘇の愚民, 此時台命に, きりしたんの宗門御制禁, 〔寛永諸家系圖傳〕百有馬直純同年、, ○慶長, 今按するに、前年, 三月、肥前へ御下, 向、其後、江戸駿河へ御參勤、何の月なる事を知らすといへとも、, 十七年, 前條に因て考ふるに、壬子の冬、あるひは是歳の春なるへし、, 寺ヲ建立, 直純觀三, ス, 慶長十七年三月二十一日, 五六七

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  • ○慶長
  • 今按するに、前年
  • 三月、肥前へ御下
  • 向、其後、江戸駿河へ御參勤、何の月なる事を知らすといへとも、
  • 十七年
  • 前條に因て考ふるに、壬子の冬、あるひは是歳の春なるへし、

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  • 寺ヲ建立
  • 直純觀三

  • 慶長十七年三月二十一日

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  • 五六七

注記 (27)

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