『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.1009

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り多るは、信成にこはの城を〓まふところは、上方の警衞たらしむなゆ〓, により、台駕にしたかひたて万つらん事を、強第こひ申といへとも、この, さ多、慶長五年、上杉景勝御征伐のとを、男信正とゝもに、東照宮にしたか, 兩城を守らしめたまふことは、おほしめすむ手あなによれりとて、御許, なりと、よりて修造の料としる、白銀五千枚をたあひ、美濃、飛騨、近江三國, により、美濃國岩村城を請取、これをまもる、六年、加増ありて、駿河國安倍, の役夫をし第造築さしめら〓、其のち致仕す、これよりさき、御紋置たに, の兩城をまもり、信正は居城〓山を守おへきのむ手、仰により、をの〳〵, かの地におもむく、九月關原御出陣のとき、東照宮沼津を過させをまふ, 位下、豐前守に敍任し、十一年、領地をあらためられ、近江國坂田淺井、伊香, 容なかりしかは、ふたゝひこふ、嫡子信正をして供奉せしむ、十二月、仰, ひ〓てあつり、下野國雀宮にいたるこのとき、信皮は駿河國沼津興國寺, 有渡、庵原三郡のうちにをいて、四萬石を領し、府中の城に住す、八年、從五, 三郡のうちにをいて、四萬石餘を壹あはり、長濱城に居す、このとき、仰あ, 玉傳兵衞某、安藤清藏某、岩瀬助右衞門某十人を、家臣とすへきむ手仰下, 慶長十七年七月二十四日, 府中城ニ, 關ケ原ノ, 居ル, 役沼津興, 國寺ノ兩, 近江長濱, ニ移封ス, 城ヲ守ル, 一〇○九

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  • 府中城ニ
  • 關ケ原ノ
  • 居ル
  • 役沼津興
  • 國寺ノ兩
  • 近江長濱
  • ニ移封ス
  • 城ヲ守ル

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  • 一〇○九

注記 (25)

  • 506,717,58,2140り多るは、信成にこはの城を〓まふところは、上方の警衞たらしむなゆ〓
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