『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.670

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に改葬有、, に仕へ、子孫今因州にあり、信濃病, に仕ふ、次男大藏良賢は、興禪院殿, 敦土山五乃山に在り, に、瓢庵公御墓としるしたるを見出し、能々見れは、寛永十七年七月廿二日, はせ給ひ、頓て祠堂金等御寄附あり、御法名は清滿院殿と申す, 住僧、つれ〳〵のまゝ、寺内の亂墳をあゆみたるに、不圖古墳の名を讀ける, に從ひ、寛永十六年八月十一日逝去あり、法名法清院殿と申す、御墓和意谷, 第〓の御子池田瓢庵入道殿は、明石に住給ひしにや、大坂兩度の軍にも、明, の文字も、かすかに鐫付たり、此旨保國公〓御聽に達しけれは、大によ法こ, 石を守り給ふよし見ゆ、瓢庵殿の事、幼少より入道せられしにはあらし、林, き事知かたし、其後いつの年にや、五月雨の降つゝきたる頃、備前景福寺の, 第〓の御子池田攝津利政殿は、御家臣と成、禄五千石御助力あり、大阪の軍, て、保國公ゟ御尋有しに、書傳ふる物もなく、聞及し事もなき由申て、終に委, 佐渡家繼しか、後狂氣す、, 氣保養乃爲、大坂にのほり、古林見宜に治療を憑しに、次第に重く成て、終に, 與左衞門か祖は、傅役, たれは、彼か家に委く辨しぬたしと, 嗣子信濃政信、家繼て烈公, はしめ御墓いつれ〓, 地に御墓有しやしらす、, 林善左衞門、瓢庵, 御政葬より以前、いつれの, 光仲殿, 地に有しやしらす、, の法名, 殿附たりしと云、, 慶長十八年正月二十五日, 六七〇

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  • はしめ御墓いつれ〓
  • 地に御墓有しやしらす、
  • 林善左衞門、瓢庵
  • 御政葬より以前、いつれの
  • 光仲殿
  • 地に有しやしらす、
  • の法名
  • 殿附たりしと云、

  • 慶長十八年正月二十五日

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  • 六七〇

注記 (29)

  • 1811,647,56,271に改葬有、
  • 303,1877,60,996に仕へ、子孫今因州にあり、信濃病
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