『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.69

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て死にをり、日本小國といへとも、かゝ多忠臣も有と判、, 慶長十八年癸丑、加恩三萬石、移同州松本城、飯田如元、兼領之、飯田差置城代、, 一所に、信州在邊にひにまり居〓る、其身數度の武功世にかくれなく、諸大, 扨〳〵耻敷事哉、長いきしたらば、如何樣の心か出て、古主の御恩も忘なん、, 先君の御恩りすれざる先に、切腹する也、其方共、又一段飛こえたな事、何と, へも承引をず、昨日陸奧殿より呼給ふにも、したがはすとは申せども、今夜, より呼給へ共、玄蕃殿御恩を忘れ、二君に仕へる義無之、汝ども知どく、何方, 名より、本知或は二千石三千石とて頼れけれとも承引せす、或時松平陸奧, 守殿ゟ壹万石ニて、御ま〓き被成をれともしたがはす、陸奧殿御よひ被成, 壹万石といへは、本知十そうばツ、子孫の爲にもと思ふ心ざし、不計出けな、, そ主取をも致、渡邊の血脉をも殘し、隨分忠臣つくすべしとて、終に切腹し, 是は如何の御事と申をれは、さればとよ、人の心程淺間敷事はなし、諸大名, 候翌日、行水を致、三人の子共を呼出し、盃を出し候へ、最後の盃せん、子共驚, する中に、渡邊金内とて、石川普代の家來千石にて勤〓なか、是も子共三人, 〔千曲之眞砂〕四飯田城主高五萬石小笠原兵部太輔秀政、, 飯田城, 慶長十八年十月十九日, 六九

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  • 飯田城

  • 慶長十八年十月十九日

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  • 六九

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