『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.585

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

にて、大ニ悦ひ、不日に、山形へ來られしを、義光すかして、病の床に近つけ、ぬ, 〔最上義光記〕上八沼城降參乃事, 圖をも預置、安堵して相果侍らはやといひやり給へは、十郎は、思慮淺キ人, て、十郎の供のもの、一人も不殘討取り、夫より直に勢を催し、谷地の城へを, けれき、小關嘉左衞門なといふ名譽の強弓數多籠り居て、爰をせんとゝ防, し寄ル、寒河江の城主羽柴勘十郎出向て合戰す、勘十郎は武勇の者ニて、山, き討にし給へは、あへなく二つに成て倒ル、相圖の太鼓をうちけれは、兵發, 多出來にり、さらは責具を用意せよとて、少引退給ふ所に、城内乃勝に乘す、, 形勢を散々にうち散しけれと、若ものにてすゝみ過、終には銕炮にうたれ, て死しけれは、寒河江、白岩の者とも、皆義光へ降參ス, 戰ひたる程に、〓やすく攻入へき樣はなかりたり、其上小城と〓りて、諸軍, 兵責具をも用意をす、我先にと責とりたる事なれは、手負死人時乃間に數, 成候、あはれ十郎殿に對面し、跡の事をも頼み、又修理大夫幼少の間、家の系, に入さりけれは、大軍を卒し、押寄給ふとひとしく、四方より取卷攻のほり, には、岸美作守楯籠り、近邊を押領して、義光乃御手, 八沼城, 百川村大字三中, ○西村山郡西五, 八沼城ヲ, 攻ム, 慶長十九年正月十八日, 五八五

割注

  • 百川村大字三中
  • ○西村山郡西五

頭注

  • 八沼城ヲ
  • 攻ム

  • 慶長十九年正月十八日

ノンブル

  • 五八五

注記 (22)

  • 1696,632,60,2202にて、大ニ悦ひ、不日に、山形へ來られしを、義光すかして、病の床に近つけ、ぬ
  • 982,574,99,1124〔最上義光記〕上八沼城降參乃事
  • 1809,627,64,2209圖をも預置、安堵して相果侍らはやといひやり給へは、十郎は、思慮淺キ人
  • 1460,628,65,2212て、十郎の供のもの、一人も不殘討取り、夫より直に勢を催し、谷地の城へを
  • 649,634,60,2208けれき、小關嘉左衞門なといふ名譽の強弓數多籠り居て、爰をせんとゝ防
  • 1346,628,63,2212し寄ル、寒河江の城主羽柴勘十郎出向て合戰す、勘十郎は武勇の者ニて、山
  • 1579,628,62,2210き討にし給へは、あへなく二つに成て倒ル、相圖の太鼓をうちけれは、兵發
  • 298,625,59,2228多出來にり、さらは責具を用意せよとて、少引退給ふ所に、城内乃勝に乘す、
  • 1229,622,64,2211形勢を散々にうち散しけれと、若ものにてすゝみ過、終には銕炮にうたれ
  • 1116,628,59,1564て死しけれは、寒河江、白岩の者とも、皆義光へ降參ス
  • 531,622,60,2216戰ひたる程に、〓やすく攻入へき樣はなかりたり、其上小城と〓りて、諸軍
  • 415,623,58,2218兵責具をも用意をす、我先にと責とりたる事なれは、手負死人時乃間に數
  • 1928,626,63,2211成候、あはれ十郎殿に對面し、跡の事をも頼み、又修理大夫幼少の間、家の系
  • 764,632,60,2206に入さりけれは、大軍を卒し、押寄給ふとひとしく、四方より取卷攻のほり
  • 880,1349,61,1492には、岸美作守楯籠り、近邊を押領して、義光乃御手
  • 888,624,54,201八沼城
  • 871,847,42,473百川村大字三中
  • 917,848,40,472○西村山郡西五
  • 916,259,40,159八沼城ヲ
  • 873,256,40,73攻ム
  • 199,687,43,426慶長十九年正月十八日
  • 198,2420,44,129五八五

類似アイテム