『大日本史料』 12編 15 慶長十九年十月~同年十一月 p.727

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内三拾四人、暫時も不奉離、柏原迄御供仕候, は急くに及はすとて、靜々と上り玉ふこそ、將軍の分別相應なるに、我等か, 立腹するとて、一騎かけにかけ來るやうなる心底にては、天下の一人とな, 有しに、將軍家の御着陣、思召よりは猶遲かりしかは、御機嫌宜しからす、此, とも、大軍故埒明不申候ゆへ、御手廻り計りにて、急ニ御着陣の由聞へしか, たらは、夫は大御所には老耄し給ふて也、大坂の者とも、京都へ取懸ん事は、, 段御側衆ゟ、追々に申上られしかは、さらはいだき候へとて御下知有しか, は、又々家康公御立腹にて、扨々不所存千万なる事哉、左樣成弓矢の道不案, 中々存もよらぬ事なり、道をいそきて、諸軍勢つかれなは戰成かたし、然ら, 内にて、いかて天下の主ニ成へきや、將軍の遲參を、我等か立腹すると聞れ, らん事心元なしとて、いよ〳〵御機嫌よからすと也、誠に名君の御一言な, 伊達政宗、見付ニ至ル、幕府命ジテ急ニ軍ヲ進メシム、, り、, 〔老談記〕大坂御陣の時、家康公には、早々御上京有りて、關東の諸勢を御待, 四拾人、先途此時ニ候間、一命をかきりに可致御供と相極、貳百四拾人之, 行ニツキ, 秀忠ノ急, 家康ノ立, 腹, 慶長十九年十月二十八日, 七二七

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  • 行ニツキ
  • 秀忠ノ急
  • 家康ノ立

  • 慶長十九年十月二十八日

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  • 七二七

注記 (21)

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