『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.772

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もや有つらんと時の人疑けると云々、, をあくると也、其後の合戰には、味方敗軍にもかまはす、尺余有一角の立物, にて、しこ海をかたむけ無二無三に敵を追立、むたいに懸やふらんと進所, 右衞門き、兩家に〓名有者共なるか、大坂の城に籠し事、若し主の下知に, 衞門尉と云者なんと一兩人、手負とる又兵衞尉を肩ニかけ曳のきて、後首, 士なれき〓そ、先にも利口言たるとすほめられし也、右後藤又兵衞、半野團, を、本多美濃守、伊井掃部頭、松平下總守備よりうつ〓炮にて、又兵衞尉鞍の, 候に、早く首を取方歸り、そこにず左衞門殿機嫌直り、先の後藤のケ樣の勇, 前輪のはたれを打貫れて、乘直らんとすれとも、大事の手なれは次第に心, をあけて田にかくすと、則白河武州江戸にて語て、證據乃状なと有て是慥, れたれき、黒田殿返事に、我等家中に後藤又兵衞と申者之由也、頓ふ合戰初, 〓、備の善惡を色々利口ニ申由、左衞門殿氣ニ不合、彼き何者ニ〓候哉と問, ならむと也、, 亂、馬よりさかさたに落けるを、又兵衞かせ者に常陸國鹿嶋侍人白川八右, 〔久國談話〕五嶋又兵衞關ケ原ニあ、主の黒田殿の供先福島殿備ニ被參候, 元和元年五月六日, 籠城ニツ, ノ首ヲ匿, 衞門基次, 白川八右, 後藤塙ノ, 基次, 關ケ原役, イテ時人, ニ於ケル, ノ疑, 元和元年五月六日, 七七二

頭注

  • 籠城ニツ
  • ノ首ヲ匿
  • 衞門基次
  • 白川八右
  • 後藤塙ノ
  • 基次
  • 關ケ原役
  • イテ時人
  • ニ於ケル
  • ノ疑

  • 元和元年五月六日

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  • 七七二

注記 (28)

  • 181,642,55,1148もや有つらんと時の人疑けると云々、
  • 1809,634,58,2215をあくると也、其後の合戰には、味方敗軍にもかまはす、尺余有一角の立物
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