『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.431

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○岡山方面ノ戰況、其十六松平定綱竝ニ其組, たくへからす、一列に備へて御下知をまつへしと、また一人をして前路の, にいたる、定綱敵兵にあはむ事を欲して城中にいり、放火乃中をはせめく, 放ち、敗北の躰をみて、速にそのむ手を言上し、かの首をもつかひに屬して, たよりをもとめしめ、士卒にしめしけるは、先陣の色めくを見す、天王寺前, このむ手を存次へしとれり、午刻にをよひて、天王寺口の開聲甚急なるに, り、一士にあふて鎗をあわせ、終に〓の首を得たり、このとき城中より火を, より、部下乃士卒件の道をへて人衆を推に、少しもけはる事なくして城下, かとし、定綱隊下に指揮していはく、御旗のむかふとこ海をみて、左の御先, に次ゝみ、人衆を三行にたてゝ推へし、弓銕炮を横たへて、左右の勢をけあ, 乃大路を推へし、赤塚前の谷には、田地ありて次みやかに次ゝみかたし、各, 元和元年の役にもまたし, 山南は大坂壇にいたるまて充滿せるか故に、御旗本にいたり〓命をう〓, 松平, たかひたてまつり、五月七日早旦に、諸軍こはと〳〵く大坂に着陣し、東之岡, 定綱, 〔寛政重修諸家譜, 越中, 元久, 出陣セルコト、四月十日ノ條ニ見エタリ、, 守, 松, ○中川重良、横山興知ノ、内藤清次二從ヒテ, 五十, 松平定綱, 組, 元和元年五月七日, 四三一

割注

  • 越中
  • 元久
  • 出陣セルコト、四月十日ノ條ニ見エタリ、
  • ○中川重良、横山興知ノ、内藤清次二從ヒテ
  • 五十

頭注

  • 松平定綱

  • 元和元年五月七日

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  • 四三一

注記 (28)

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