『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.749

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大御番高木主水正組、御右前備の大御番阿部備中守組を前として、御後備, れ〳〵と御下知有、御むけ高く御ひけ有と御容〓抜群たり、中山勘ケ由よ, るへきよし被仰付、御馬を進められ、御腰より金乃〓をぬかせ給ひて、かゝ, 可然と申上る、依之井伊兵部頭備の右明間ある所へ、御旗本の御左前備の, 乃御書院番青山伯耆守、水野隼人正、松平越中守三組をおし出させ、權現樣, へ朝比奈源六を被遣、對馬守申上候通り御旗本衆をかけて御軍はしめら, 小笠原兵部なと戰始るを、, と成ぬ、御歸陣以後、櫻野の牧へはなさせ給ふと云々、金扇の御馬印あさや, 安藤對馬守、台徳公へ駈來り、御先手敵に喰付申候間、御旗本衆抔御懸被成, 歩兵廿人計也、御成と聞て、加藤左馬介、黒田筑前守は平野邊より小人數ニ, り傳はらせ給ひ、御馭法に熟し玉ふゆふ櫻野といふ七寸餘り栗毛糟の御, 上悍にて乘人を嫌ふと云とも、能々被召入、御具足下地の駿足, かにして、見奉るもの不感といふ事なし、御馬にき井上主計頭、植村出羽守, 内備前守、酒井下總守、三宅彌次兵衞、牧野又十郎、三枝惣四郎、安藤甚介其外, 御威光重く御行儀正したれ共、軍陣にては手輕萬事被遊候を奉譽如此、, 馬, 〔續武家閑談〕:, 右, ○前項ニハ、小笠原秀政等, 戰死ノコトヲ敍シタリ、, 本多上野, 介獻上す, 秀忠ノ軍, 容, 元和元年五月七日, 七四九

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  • ○前項ニハ、小笠原秀政等
  • 戰死ノコトヲ敍シタリ、
  • 本多上野
  • 介獻上す

頭注

  • 秀忠ノ軍

  • 元和元年五月七日

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  • 七四九

注記 (26)

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