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六月二十一日, 六月七日、, に與へたれば彼は立去れり, 六月五日, 外、何物をも携へ來ること能はざりきと語り、尚(秀頼樣の軍の如く)十二万, 上方の風評の委細を語れり、秀頼樣の母の死骸は發見せられ、又秀頼樣の, しこと、又秀頼樣及び其の母が、其の子と共に切腹せしことは事實なりと、, を見しことありき、大坂落城の際、彼は城内にありしが、幸にして〓走する, を得たるなり、彼は予に告げて、此の攻略は急激なりし爲め、纒ひし衣服の, 以上にも及べる軍が、斯く速に撃滅されしことを怪めり、彼は又大坂城を, 〓走せし以來、十五日間艱難辛苦を重ねしかば、予に向て、神の爲めに、彼に, り、之に依れば、皇帝が、秀頼樣の軍を破りて、大坂城を陷れ、本月六日入城せ, 國王の家臣の一人來りて、予に, 食物を與へんことを乞へり、仍て彼が食事を終りし後、予は銀十五匁を彼, 午餐後、パードレ・アポロナリオと稱, するフランシスコ派のフライヤル來訪せり、予は嘗て平戸にて、二三囘彼, 平戸王より豐後殿宛の書状到着せ, ○中, 和元年五月二十一日ニ當ル, ○新暦六月十七日二シテ、元, ○新暦七月一日二シテ、元和, 元年六月六日二當ル、中略, 和元年五月十九日二當ル、, ○中, ○新暦六月十五日ニシテ、元, 略, 略, ○中, 師城中二, 籠ル, 耶蘇宣教, 元和元年五月八目, 六七
割注
- 和元年五月二十一日ニ當ル
- ○新暦六月十七日二シテ、元
- ○新暦七月一日二シテ、元和
- 元年六月六日二當ル、中略
- 和元年五月十九日二當ル、
- ○中
- ○新暦六月十五日ニシテ、元
- 略
頭注
- 師城中二
- 籠ル
- 耶蘇宣教
柱
- 元和元年五月八目
ノンブル
- 六七
注記 (33)
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