『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.272

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る科によつて如斯行者也と載られたり、, 口より八木氏に問はんもいかゞ故、未だ然せずと、, は今の大番頭丹波守, 之丞は、熊野尾鷲浦の人、延寳貞享の比碁ニ名高し、尾鷲十八目といふ手有, 元和五年、南龍院樣御入國の後、右御褒美として、十人扶持被下置、世々頂戴, 方のつゞき故、此家にて猷〓の御時召出されしと聞く、今更ながら子孫の, 花定院は、昔より家の代々菩提寺なるが、其過去帳に、大助の戒名を記し、沒, 年七十何歳とかあり、すれは老死也、御旗本衆の中に八木氏あり、此家は母, れは大助にても可有、如斯の口上は、他人の不及處と、周防守甚た被感、其後, り、且又祖父新之丞儀、元和元年大坂落城之節、眞田大助をかくまい置候付、, かくなれば、幸村高野に退去せしなど云しは、此蓮華定院ならむ、八木氏, の家か、, 粟田口に被梟首、其制札に曰、此もの眞田左衞門佐後家方へ來て、彼是申掛, 〔甲子夜話續編〕五大助生害の由なれど、是も左樣とは思れず、高野の蓮, 仕候、眞田大助へも十人扶持被下置、新田をも開き被遣候得共、其後何方へ, 〔南紀徳川史〕, 中新之丞紀伊國奇人傳ニ曰、田中新, 四千, 圍碁, 石, 六十, 六十二方技傳, 方技傳, ニ匿ルト, 大助熊野, 同上, ノ説, 元和元年五月八日, 二七二

割注

  • 四千
  • 圍碁
  • 六十
  • 六十二方技傳
  • 方技傳

頭注

  • ニ匿ルト
  • 大助熊野
  • 同上
  • ノ説

  • 元和元年五月八日

ノンブル

  • 二七二

注記 (29)

  • 1562,616,62,1225る科によつて如斯行者也と載られたり、
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