『大日本史料』 12編 21 元和元年六月~同年閏六月 p.234

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名物也、小笠原右近殿古例をいへるは、陣刀には七千貫の義弘、指添は五千, 貫のはかた藤四郎也、如此名物の陣刀は、珍ら敷御にと申けれは、武士の一, ると聞し召けるか、是を差ていさき能打死をしける、かはねの上の面目是, して打死しける、權現樣御刀を御覽被成、これは秀頼公より木村え給りけ, 大きに違たる身なれば、陣刀に至る迄心得有、御心安き故おかしき御物語, 敷なからへける故、自然のこと有はと、朝な胸にせまり有なり、餘の人々は, 眞田左衞門佐抔見物して、古今無双の花鎗なりと感けるとなり、此時に秀, たゝり有之、依之秀頼公本阿彌に御預置被成しを、大坂落城の後、權現樣え, 成へしと御意被成けると、光室同苗共に語り申也、總て名將の御陣刀は皆, 大事は最期也、親と兄は打死しける、我數ケ所深手を負けれとも、仕合惡し, 世に並なき名物數々御所持也、楠正成最期には、鬼切丸國綱、此御太刀は御, 頼公御感状に添て、此ほねはみを拜領申也、明則五月六日、此ほねはみをさ, 被成と被仰ける、小松中納言利常卿は、名物ならては常にも御差不被成也, 膳と言ふ家老を打取ける、流石かたき備へ成故、早く引取ける、後藤又兵衞, 光室差上けれは、大閤より御預被成し太刀なれは、其儘家に置候得とのト, 鬼切丸國, 綱, 元和元年六月二十九日, 二三四

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  • 鬼切丸國

  • 元和元年六月二十九日

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  • 二三四

注記 (19)

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