『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.178

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

日逝す、明譽源光慧昌福正院と號す、, ふ、, 年三十三、俊岳宗傑興國院と號す、葬地輝政におなし, 院殿より、上使牧野豐前守信成を下され、青江の御刀信國乃御脇指を賜, 十四年、新太郎光政生るゝのとた、備中國の内にをいて、千石をたまふ、元, 室は台徳院殿の御養女、實は榊原式部大輔康政か女、慶長十年、入輿あり、, 和二年利隆卒してのち、尼となり、福正院と號す、寛文十二年十月二十六, ぬ、十六年、はしめて台徳院殿にまみゑたてまつり、來國俊の御脇指をた, もつて、備前國和氣の敦土山に改葬す、上使をもつて、賻銀數百枚をたま, 光政母は台徳院殿御養女、慶長十四年、備前國岡山に生る、このとき台徳, つる、二年、病にかゝるにより、暇たまはりて、京師におもむく、其病を看せ, しめむかため、牧野傳藏成純を副らる、六月十三日、かの地にをいて卒す, のち儒禮を, 十八年東照宮より、新藤五の御脇指を賜ぬ、元和二年遺領を, まはる, 池田家譜〕, 繼、, 元和二年六月十三日, 〕, 三歳, ○姫路, 龍峯寺, 時に, 一岡, 福正院, 利隆夫人, 千石ヲ賜, 福正院ニ, 利隆卒去, 元和二年六月十三日, 一七八

割注

  • 三歳
  • ○姫路
  • 龍峯寺
  • 時に
  • 一岡

頭注

  • 福正院
  • 利隆夫人
  • 千石ヲ賜
  • 福正院ニ
  • 利隆卒去

  • 元和二年六月十三日

ノンブル

  • 一七八

注記 (31)

  • 842,713,58,1071日逝す、明譽源光慧昌福正院と號す、
  • 1313,714,48,64ふ、
  • 1539,708,64,1568年三十三、俊岳宗傑興國院と號す、葬地輝政におなし
  • 606,708,62,2145院殿より、上使牧野豐前守信成を下され、青江の御刀信國乃御脇指を賜
  • 1074,708,62,2144十四年、新太郎光政生るゝのとた、備中國の内にをいて、千石をたまふ、元
  • 1191,702,62,2163室は台徳院殿の御養女、實は榊原式部大輔康政か女、慶長十年、入輿あり、
  • 958,706,61,2145和二年利隆卒してのち、尼となり、福正院と號す、寛文十二年十月二十六
  • 489,705,62,2146ぬ、十六年、はしめて台徳院殿にまみゑたてまつり、來國俊の御脇指をた
  • 1424,704,61,2148もつて、備前國和氣の敦土山に改葬す、上使をもつて、賻銀數百枚をたま
  • 723,635,62,2220光政母は台徳院殿御養女、慶長十四年、備前國岡山に生る、このとき台徳
  • 1774,709,61,2134つる、二年、病にかゝるにより、暇たまはりて、京師におもむく、其病を看せ
  • 1657,709,61,2147しめむかため、牧野傳藏成純を副らる、六月十三日、かの地にをいて卒す
  • 1543,2503,57,342のち儒禮を
  • 371,1055,63,1799十八年東照宮より、新藤五の御脇指を賜ぬ、元和二年遺領を
  • 383,712,39,197まはる
  • 111,701,103,313池田家譜〕
  • 254,710,58,67繼、
  • 1889,714,45,386元和二年六月十三日
  • 116,597,104,28
  • 360,931,42,112三歳
  • 1575,2297,44,181○姫路
  • 1531,2295,42,188龍峯寺
  • 403,929,42,106時に
  • 153,639,56,40一岡
  • 1167,276,40,129福正院
  • 1209,275,43,169利隆夫人
  • 1008,277,41,168千石ヲ賜
  • 1052,277,43,162福正院ニ
  • 1656,273,42,170利隆卒去
  • 1889,714,45,386元和二年六月十三日
  • 1893,2452,44,111一七八

類似アイテム