『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.210

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たくこそ思ふへけれとて、其場にて賜ふ, 人の貳ツ胴を御覽有しに、池田出羽、伊木長門か許より刀を出しける、伊木, しく慶長十七年二月十九日、三十三歳にて病死す、忠左衞門子なけれは、内, 有は、賞するに足らすとそ申ける、甚右衞門慶長十二年十月十日病て死す、, 命さられしに、首尾よく仕濟し、其後度々の軍に戰忠を致す、されは感書賜, 其子貳人、嫡子忠左衞門、次男内記といふ、忠左衞門も國清公に仕へ、是も同, か刀殊に刃のあはひよけれは、此刀にて切ためすへしと、伊庭左京に仰け, りしり、終に一度も其御書を授らす、鷹の鳥をとり、ものゝふのいくさに功, に持て參けれは、興國公御覽有て、内記をめされ、若者は此やうなる刀を帶, テ、國政ヲ與聞、二人共ニ此ヲ知臣ト稱ス、其心ヲ用、事ニ處スルヲ見ルニ大, 父を甚右衞門と云、尾張にて始て、護國公につかふ、其頃罪ある者の討手を, る、左京此刀にて試るに、いかにも能切レ、土壇まて拂ける、扨件乃刀を御前, 記兄か家繼しなり、, 此内記か, 〔志士清談〕松平武藏守利隆ノ騎歩將番大膳、芳賀内藏允、各祿二千石ヲ受, ニ異ナリ、番ハ願望ノ士ニ對シテ、子カ所言寔ニ然ラン、我今子カ心底ヲ察, 青江刀なり、今も末孫甚, 右衞門か家に祕藏せり, ノ廉潔, 内記ノ父, 甚右衞門, 番景次世, 才ニ長ズ, 元和二年六月十三日, 二一〇

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  • 青江刀なり、今も末孫甚
  • 右衞門か家に祕藏せり

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  • ノ廉潔
  • 内記ノ父
  • 甚右衞門
  • 番景次世
  • 才ニ長ズ

  • 元和二年六月十三日

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  • 二一〇

注記 (25)

  • 1307,642,58,1197たくこそ思ふへけれとて、其場にて賜ふ
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