『大日本史料』 12編 29 元和四年正月~同年十二月 p.99

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發向乃とを、先鋒の第一となりくしたろひたてまつる、元和元年、たゝ, 覽ありて、諸卒に命して、刈田さしめら多、ときに昌幸ろ斥候の士卒來り, しを、家次こまをうちちらし、たゝちに追手の門際にいたり、城中の兵と, 巣山におもむき、軍功あり、十四年五月、豐臣太閤の妹君、東照宮に嫁した, 眞田昌幸か籠れを上田城を攻たまはんとて、染屋馬場臺より敵陣を御, まふ乃とき、太閤より淺野長政等を副て、濱松に送らる、家次等、仰をうけ, を領す、慶長五年、石田三成等謀叛のとを、台徳院殿中山道を御發向あり、, まふにより、八月十九日、吉田をあらため多、下總國碓井城を賜ひ、三万石, 十一月二十九日、從五位下宮内大輔に敍任す、十八年、關東にう平ら〓た, され、二万石を加へらる、乃ち左衞門尉に改む、十九年、台徳院殿大坂に御, の下知なくして、城をせむることなかれといふ、こゝにをいず、家次、兵を, をたまはり多、家次と稱し、天正三年、長篠合戰のとを、父にしたろひて鳶, たまはり、途中に出むかへて、御輿をうけとる、十六年十月、封を襲、十七年, 鎗をあはせ、すてに城に入むとす〓乃とを、御摩下より使者來りて、大將, 引そかへる、九年十二月二十日、碓井をあらたさめ多、上野國高崎城にう〓, 元和四年三月十五日, 城ヲ領ス, 上野高崎, 城ニ移リ, 其封ヲ加, 關ケ原ノ, 下總臼井, 大坂役, 戰, 長篠ノ戰, 元和四年三月十五日, 九九

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  • 城ヲ領ス
  • 上野高崎
  • 城ニ移リ
  • 其封ヲ加
  • 關ケ原ノ
  • 下總臼井
  • 大坂役
  • 長篠ノ戰

  • 元和四年三月十五日

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  • 九九

注記 (27)

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