『大日本史料』 12編 38 元和七年六月~同年十一月 p.205

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りモルッカに派遣せられたり、この船も、その海岸にて坐礁し、失はれたること明なれど, 退却せり、同船隊には多數の病人を乘せたり、病氣または傳染病にて死したる者も、莫大の, 數に上れり、その傳染病は、彼等の言によれば、マニラの沿岸のビガンなる村落にて感染し, 易の爲めに指定せられたる日本の港平戸に、一六一九年七月十二日, なき支那船三艘を劫掠せしに過ぎず、他に一艘の船が荷船を從へて、このマニラの海岸よ, のなり、我等の船隊は將に突出せんと準備を整へしが、このオランダ船隊は隊伍を整へて, たるものなり、その事實は、當地にも知られざるところなれば、恐らくは彼等の想像に出で, しものなるべし、彼等の中には溺死せしものも少からず、ある船の如きは〓然沈沒して、多, 使役に服して、日本より運ばれしものなり、而してこれらの船は、當地に來りし殆んど積荷, に四艘, くの溺死者を出せしが、その中に多數の日本人ありたり、これらの日本人はオランダ人の, 日本王國記事, 靈界のことより轉じて、本諸島に關聯せる日本の俗界のことに移り、先づオランダ人の貿, のオランダ船が入港せしことを述ぶべし、この船は、昨年報ぜし、マニラ沿岸より去りしも, 方に於ける事件の報告、, ○元和五年六, 月二日ニ當ル, バレテ和蘭, 平戸ニ入港, 人ノ使役ニ, 和蘭船四隻, 日本ヨリ運, 服セシ日本, 人, ス, 元和七年七月二十七日, 二〇五

割注

  • ○元和五年六
  • 月二日ニ當ル

頭注

  • バレテ和蘭
  • 平戸ニ入港
  • 人ノ使役ニ
  • 和蘭船四隻
  • 日本ヨリ運
  • 服セシ日本

  • 元和七年七月二十七日

ノンブル

  • 二〇五

注記 (27)

  • 263,607,66,2218りモルッカに派遣せられたり、この船も、その海岸にて坐礁し、失はれたること明なれど
  • 1120,591,64,2229退却せり、同船隊には多數の病人を乘せたり、病氣または傳染病にて死したる者も、莫大の
  • 998,596,65,2226數に上れり、その傳染病は、彼等の言によれば、マニラの沿岸のビガンなる村落にて感染し
  • 1489,598,62,1680易の爲めに指定せられたる日本の港平戸に、一六一九年七月十二日
  • 386,603,70,2222なき支那船三艘を劫掠せしに過ぎず、他に一艘の船が荷船を從へて、このマニラの海岸よ
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